意図的にけたたましい爆裂音を響かす暴走バイクや車の類は論外として、以前、日常の騒音として駅の案内音が問題になった。自動車の騒音はかなりよくなったようだが、最近では、テレビだ。静かにしていた方が緊迫感がいっそう迫ると思うのだが、アナウンサーやゲストが滅多やたらとわめき立てる。うるさい都会の生活で、無音の間についての感性が磨り減ってしまっているのであろうか。
都会の我が家でも普通の音が途切れることはある。しかし、空気が落ち着いていない。何かが動いている。あたり一面、低いうわーんという振動や、耳には音として聞こえない超低周波の音がいくつか混じりあって響いているのであろうか。
山里に行き来し始めて、山里と都会の音に深いところで違いがあるのに気付くようになった。山里には音がないと言うのではない。草刈機のうなり声や、時には車が通る音、遠くの有線放送の音など、結構いろいろな音がする。しかし、音が途切れたとき、山里の空気は微動もせずにしんと身の回りに落ち着く。先日、深夜に停電したが、全く無音の闇となり、身を動かすと、周囲の空気のかき乱されるのが感じられるようであった。やはり山里は静かだ。静かさの質が違う。
逆に、いろいろな音に敏感になる。山里の森の小鳥の鳴き声を録音しようとしているが、夏の盛りなどは、セミの鳴き声が他を圧倒して、かなりの音圧であふれているのに改めて気付く(やはり、夏は駄目だ)。秋の始め、庭で草むしりをしていたら、突然、天空がゴーッと鳴り響き、思わず身を縮めた。森を吹き抜ける風の音であった。そういえば、都会の街で、木々を揺らす風の音など最近は聞いたことがないなあ、と侘びしい気になる。(青)
都会の我が家でも普通の音が途切れることはある。しかし、空気が落ち着いていない。何かが動いている。あたり一面、低いうわーんという振動や、耳には音として聞こえない超低周波の音がいくつか混じりあって響いているのであろうか。
山里に行き来し始めて、山里と都会の音に深いところで違いがあるのに気付くようになった。山里には音がないと言うのではない。草刈機のうなり声や、時には車が通る音、遠くの有線放送の音など、結構いろいろな音がする。しかし、音が途切れたとき、山里の空気は微動もせずにしんと身の回りに落ち着く。先日、深夜に停電したが、全く無音の闇となり、身を動かすと、周囲の空気のかき乱されるのが感じられるようであった。やはり山里は静かだ。静かさの質が違う。
逆に、いろいろな音に敏感になる。山里の森の小鳥の鳴き声を録音しようとしているが、夏の盛りなどは、セミの鳴き声が他を圧倒して、かなりの音圧であふれているのに改めて気付く(やはり、夏は駄目だ)。秋の始め、庭で草むしりをしていたら、突然、天空がゴーッと鳴り響き、思わず身を縮めた。森を吹き抜ける風の音であった。そういえば、都会の街で、木々を揺らす風の音など最近は聞いたことがないなあ、と侘びしい気になる。(青)