ミズちゃん。
カッコよかった。
熱く、シャープに。
正塚先生が、ミズちゃんのこういうところが大好きなんだろうなと思った。
ミズちゃんの、頭の回転のよさから来る雰囲気も、
上手く描きこんでいる。
思い悩む感じも、いい哀愁を伴っている。
フェルッティ(緒月くん)との対決なんて、
ひょ~っ♪(鳥肌)と思うくらい、カッコよかった。
押されてるかのような詰め将棋で、
実は1手逆転…相手の王手が、相手に止どめを刺す。
…たまらない~。きゅんとする。
だけども、
多分先生は、熱くなり過ぎちゃったんでしょうね。
小説として読むならば、いいんだろうと思う。
こちらも、台詞を噛み締められるテンポで、進んで行かれるから。
正塚先生の作品の一つの魅力は、
独特のテンポによる、会話の積み重ねによる、リズムと躍動感だと思うのだけど、
今回は、その先生の中にある熱さが、リズムを邪魔してしまう場面がいくつもあった。
それが、「1」で語った、長い場面のことなんだけど…
(あの説明で、観劇済の皆様には、伝わったんだろうか?)
ミズちゃんは、見た目クールでシャープだけど、
中身は熱いところがあるでしょう?
冷静な部分もあるけれど、実は熱血。
そこが、すごくいいところなんだな、と、今回は改めて思った。
つまりは、先生はそこを描き出そうとし、活かしたいい人物を創り上げたんだけども、
ミズちゃんの熱さには、ブレーキが利きにくいという点が、ちょっと計算から抜けたか、数値が計算とは違ったか。
或いは、先生も一緒に熱くなってるから、気がつかなかったのか。
これが、
もっとキャパシティの小さい劇場ならば、
台詞も通りやすいんだけど、
大劇場クラスだと、響いてしまうとか、音速の問題もあるかもしれない…
意識下で、そのズレを感じたりもするのかしら?
だから、観ている方にも、台詞を聞き取るためのピント調整みたいなことが、
意外に必要になってくる。
所謂「大芝居」というのは、ピントを合わせやすい芝居で、
視力測定表の上の方の記号みたいなものだ。
だけど、今回のお芝居の台詞は、だいぶ下の方の記号が並んだような状況で、
ずっとピントを合わせようとしてても、段々ぼやけてくるんだなぁ。
惜しいことです。
何故、ネロが、闘いに出て行くのか。
これがまた、無茶苦茶男のロマンだよね。
泣きすがる恋人を置き去りにしても、自分の信念、生きる意味を追って、
そこから逃れることはできないと、命を賭して、立ち向かって行く。
乙女なお友達は、どうにもこれが受け入れ兼ねるんだとおっしゃるんだけども、
私は、セリア(となみちゃん)に、縋る女の身勝手みたいなものも感じるんだよなぁ…。
そもそも、ネロがそういう人だからこそ、激しく惹かれたのであって、
じゃあ君のそばにいるよ!
なんて男だったら、きっと惹かれたりしないんだよ。
残ったとしたら、その時はよくっても、
どこかで、自分が果たさなかった気分が拭えないネロは、
彼女のために闘いに身を委ねなかったことを、自分が彼女を言い訳に、闘いから逃げたような気持ちになっていくだろう。
それは、きっと彼に影を落として行くし、
セリアも、そんな彼を見ちゃおられんだろうし、或いは彼に魅力を感じなくなるだろう。
ネロが、セリアの元にとどまったからって、そこに幸せはないんだと思う。
セリア自身、そこを感じ取って、彼を送り出すわけですが…。
強い男に強い女…でも、その女を振り回し、耐え忍ばせるだけの男……
うーん、浪漫。
その、となみちゃん。
今回は、地声でのお芝居…正塚先生の「できる女」のイメージ。
それにしても、
この人が出て来るだけで、
遠ざかりかかってた集中力が、ふっと甦ってくるのは、
私がとなみちゃんを好きだから、というだけではないんじゃないかしら。
迫力、いい意味の緊張感が、場に広がる感じがする。
近ごろ、大人の女を担った役ばかりが続いている、となみちゃん。
ん?雪に来てからずっとか……
というか、トップさんになってから、ほとんどそうなのか……。
前作は、そんな役作りでなくともよかったような役だと思うけれど、
それでも、やっぱり、「大人」だったよなぁ。
確かに、若手若手と思っていたとなみちゃんも、もう、研10を超えてるわけで、
そりゃ、私も歳をとるワケだなぁ…(またそれ?)
となみちゃんが、しっかりとしっとりとセリアを演じているおかげで、
ミズちゃんの逞しさがアップしているのも確かです。
あんな女性を待たせる、というのも、男のロマン。
その「あんな女」を、となみちゃんは、内面から匂い立つような華やかさで、演じておられる。
一目惚れで惹かれ合うに相応しいカップルで、
そこは、観ていてすんなり、物語に引き込まれていく点でした。
つづく。
カッコよかった。
熱く、シャープに。
正塚先生が、ミズちゃんのこういうところが大好きなんだろうなと思った。
ミズちゃんの、頭の回転のよさから来る雰囲気も、
上手く描きこんでいる。
思い悩む感じも、いい哀愁を伴っている。
フェルッティ(緒月くん)との対決なんて、
ひょ~っ♪(鳥肌)と思うくらい、カッコよかった。
押されてるかのような詰め将棋で、
実は1手逆転…相手の王手が、相手に止どめを刺す。
…たまらない~。きゅんとする。
だけども、
多分先生は、熱くなり過ぎちゃったんでしょうね。
小説として読むならば、いいんだろうと思う。
こちらも、台詞を噛み締められるテンポで、進んで行かれるから。
正塚先生の作品の一つの魅力は、
独特のテンポによる、会話の積み重ねによる、リズムと躍動感だと思うのだけど、
今回は、その先生の中にある熱さが、リズムを邪魔してしまう場面がいくつもあった。
それが、「1」で語った、長い場面のことなんだけど…
(あの説明で、観劇済の皆様には、伝わったんだろうか?)
ミズちゃんは、見た目クールでシャープだけど、
中身は熱いところがあるでしょう?
冷静な部分もあるけれど、実は熱血。
そこが、すごくいいところなんだな、と、今回は改めて思った。
つまりは、先生はそこを描き出そうとし、活かしたいい人物を創り上げたんだけども、
ミズちゃんの熱さには、ブレーキが利きにくいという点が、ちょっと計算から抜けたか、数値が計算とは違ったか。
或いは、先生も一緒に熱くなってるから、気がつかなかったのか。
これが、
もっとキャパシティの小さい劇場ならば、
台詞も通りやすいんだけど、
大劇場クラスだと、響いてしまうとか、音速の問題もあるかもしれない…
意識下で、そのズレを感じたりもするのかしら?
だから、観ている方にも、台詞を聞き取るためのピント調整みたいなことが、
意外に必要になってくる。
所謂「大芝居」というのは、ピントを合わせやすい芝居で、
視力測定表の上の方の記号みたいなものだ。
だけど、今回のお芝居の台詞は、だいぶ下の方の記号が並んだような状況で、
ずっとピントを合わせようとしてても、段々ぼやけてくるんだなぁ。
惜しいことです。
何故、ネロが、闘いに出て行くのか。
これがまた、無茶苦茶男のロマンだよね。
泣きすがる恋人を置き去りにしても、自分の信念、生きる意味を追って、
そこから逃れることはできないと、命を賭して、立ち向かって行く。
乙女なお友達は、どうにもこれが受け入れ兼ねるんだとおっしゃるんだけども、
私は、セリア(となみちゃん)に、縋る女の身勝手みたいなものも感じるんだよなぁ…。
そもそも、ネロがそういう人だからこそ、激しく惹かれたのであって、
じゃあ君のそばにいるよ!
なんて男だったら、きっと惹かれたりしないんだよ。
残ったとしたら、その時はよくっても、
どこかで、自分が果たさなかった気分が拭えないネロは、
彼女のために闘いに身を委ねなかったことを、自分が彼女を言い訳に、闘いから逃げたような気持ちになっていくだろう。
それは、きっと彼に影を落として行くし、
セリアも、そんな彼を見ちゃおられんだろうし、或いは彼に魅力を感じなくなるだろう。
ネロが、セリアの元にとどまったからって、そこに幸せはないんだと思う。
セリア自身、そこを感じ取って、彼を送り出すわけですが…。
強い男に強い女…でも、その女を振り回し、耐え忍ばせるだけの男……
うーん、浪漫。
その、となみちゃん。
今回は、地声でのお芝居…正塚先生の「できる女」のイメージ。
それにしても、
この人が出て来るだけで、
遠ざかりかかってた集中力が、ふっと甦ってくるのは、
私がとなみちゃんを好きだから、というだけではないんじゃないかしら。
迫力、いい意味の緊張感が、場に広がる感じがする。
近ごろ、大人の女を担った役ばかりが続いている、となみちゃん。
ん?雪に来てからずっとか……
というか、トップさんになってから、ほとんどそうなのか……。
前作は、そんな役作りでなくともよかったような役だと思うけれど、
それでも、やっぱり、「大人」だったよなぁ。
確かに、若手若手と思っていたとなみちゃんも、もう、研10を超えてるわけで、
そりゃ、私も歳をとるワケだなぁ…(またそれ?)
となみちゃんが、しっかりとしっとりとセリアを演じているおかげで、
ミズちゃんの逞しさがアップしているのも確かです。
あんな女性を待たせる、というのも、男のロマン。
その「あんな女」を、となみちゃんは、内面から匂い立つような華やかさで、演じておられる。
一目惚れで惹かれ合うに相応しいカップルで、
そこは、観ていてすんなり、物語に引き込まれていく点でした。
つづく。