こないだ、友達とおしゃべりしていたとき。
気持ちや感覚が共有できる、
私たちの関係に、心から「幸せだ!」と感じ入ったのですが、
私は無意識に、その幸福感を、
「つかの間の喜び」と定義づけ、
瞬時に、「永遠なるもの」と対比している自分に気づきました。
「永遠という正解に対して、
つかの間という錯覚があって、
その儚さに酔いしれることは、幻でしかない」
私の中にこのような設定があることに気づき、
同時に、分かりました。
「・・・・永遠なんてないんだ」
つかの間、とか、刹那、とか、
それらの言葉の持つ、淡さ、軽さ、脆さ、
それが人生の実際のコンテンツであって、
だからこそ、ひとは、
「永遠」という言葉に、「安定」や「安心」を重ね合わせて理想を描き、
それを善なるものとして、追い求めようとする。
でも、ホントは、
「永遠」とは、
無数に連なる「つかの間」の連続体。
時間には、きっと、「つかの間」しかないのです。
だから、むしろ、積極的に、
「つかの間」を楽しみ続けることでしか、
喜び溢れる人生は、あり得ないのではないかしら?
つかの間の喜び、
つかの間の愛、
つかの間の快楽、、、、、、
...あれ、なんだか、つかの間には、
楽しげなことばかり、くっついているではありませんか!!