Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

つぶやく癖と罪悪感

2009-10-06 | 過去世

私にはこんな癖がある

何か、自分の過去の言動を思い返して、

もっと良い行動ができたのではないかと後悔したり、罪悪感や恥辱感を抱きそうになると、

小さな声で「ママ」とつぶやくのだ





私は、現世での母親のことは、「ママ」と呼ばないし、

他に「ママ」と呼んでいる人もいない

誰に呼びかけているのか自分でも分からないけど、無意識で口走っている

若い頃からあった癖だけど、

母親と一緒に暮らしていた高校卒業まではなかったと思う







ずっと、謎だったけど、

たいして気にとめていなかった










あるとき、

あるチャネラーさんから、

”私のハートチャクラにものすごく強く太く結ばれているコードがあって、

それは、とっても優しいエネルギーを感じる”

と、言われた

愛について教えてくれる母親のようなエネルギー

そのとき、気づいたのが、私の過去世での母親だ










昔の中国、裕福な家で、両親から愛情をいっぱい注がれて、

何不自由なく、可愛がられ、

病弱だったので、大人になるまで館の外に出してもらえなかったお嬢ちゃま

そのとき、

つきっきりで、私に、

愛について、美について、清らかさについて、教えてくれたのが、「ママ」だ

「ママ」は、高貴で優美で光り輝いていて、

私にとっての神様だった

何か困ることがあれば、すぐに、「ママ」に話してアドバイスをもらっていたのだ







時代を超えて、現世でも、

私は「ママ」に自分の犯した過ちを告白しようとしているのかも知れない

カトリック教徒が、教会で神父さまに告解して、神に懺悔するように・・・

過去世の私はその行為がたぶん好きだったのだと思う

今でも海外に行くと、妙に教会が気になるし、

賛美歌やステンドグラスには、とても心が揺さぶられる









そこまで気づいて、さあ、考えてみる

自分のしたことを、

後悔して懺悔して、自分は罪深い存在ですと自分をおとしめれば、

慈悲深い存在が私を赦してくれる、というわけだ

赦されれば、私はまた人生を歩むことを認められた

でも、

罪悪感や恥辱感は、現世での自分に本当に必要だろうか

その気持ちは、

偉大な存在との間に、赦し-赦されるものという大きな隔たりがあることだけが強調され、

自分の魂に宿る神をおざなりにしてはいないか。。

人間ひとり一人が、

ひとつの大きな生命の源から個別化した神なのだから、

誰が誰に赦してもらうというのだろうか

そういう方法は、

聖書の内容やキリストの言葉を歪曲して、組織を守ることを優先させた「宗教」が

使っていた方便だ

私はもうこれ以上、その方法にくみしたくないと感じる

現世の私は、

「ママ」ではなくて、自分自身に問おう

   
              後悔や罪悪感に苛まれる自分になりたいか?

              このできごとは自分に何を教えてくれているのか?










だから、罪悪感は不要だ

あるやり方でうまくいかないと思うのだったら、

次は別の方法を試せば良い

たとえば、針の穴にうまく糸が通せなかったら、

次はうまくいくようにトライすればいいのであって、

いちいち懺悔することではない











すべてのことが必然として起こっているのだから、

自分がした行動が、たとえそのときは目的に叶っていると思えなくても、

必要なことが起こっているのだ

離婚した両親の子が、

「パパとママが喧嘩したのはボクが悪い子だから。」と思うのが、

まったく根拠のないことと、原理は同じ

誰のせいでもなく、ただ起こることは起こる









私が「ママ」とつぶやくことで、

私が罪悪感を持っていることが分かるから、

ハタと気づいて、その思いとお別れすることができる



そして、

次のチャンスには別のことを試してみればいいだけのこと








                        スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                               






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