たとえば、
子どもの頃に遊んでいた空間や、
よく見ていた木なんかが、
大人になってから見ると、
ものすごく、狭かったり、小さかったりすることって、
あるでしょ?
それは、自分の背が小さかったからだと、
一般的に考えられているけれど、
もしかしたら、それ以外の理由もあるかも知れないと思ったの
子どもは、大人よりも、
真理を体感しているから、
この宇宙空間のどこもかしこもを埋め尽くしている、
スピリットをしっかり感じて、
その躍動感を、情報として認識していて、
空間内に詰まった、密度の濃さをキャッチすることによって、
同じ空間を、
より豊かなもの、
より、広がりを含むものとして感じている、
だから、子どもは、同じ空間を広く感じるのではないか、ということ
同じことが、時間、にあてはめると、
密度の濃い時間は、長く、ではなくて、
短く思えるという不思議もあるよね
大人になるにつれて、
より、この物理的時空間への認識が強くなり、
メートルや秒分といった尺度基準が守られる比率は高くなる。
もちろん、大人であっても、
感情や情動によって、
空間や時間が、単なる客観的事実を越えることは、
みんな、経験済みだよね!
まさに、時空間にあるマトリックスを、
感覚レベルで取り込んでいるからこそ、
子どもの時間はあっという間だし、
子どもの空間はワンダーに満ちて広々している
そんなことを、
新仮説として提唱したい、春の夜なのだった