20年ぶりに、「ノルウェイの森」を読んでいるんだけど、
その中に、こんなセリフが出てきたの
「お金持ちである最大の利点は、『お金がない』って言えること。」
お金持ちだからこそ、
「私、今、お金がないの。」って言える
本当に貧乏な人がそれを言えば、それは、決定的でどうしようもない事実だから、惨めなだけ、
お金持ちがそう言っても、それは原則として、そうでないのだから、敢えて言うことができるものだ、
美人の女の子は、「今日は顔がヘンだから外に出たくないの。」って言って許されるけど、
美人じゃない子がそれ言っても、笑われるだけ、
って、まあ、こんな感じ
この理論で言えば、
私たちが、
「幸せじゃない。才能がない。つまらない。」って言うのは、
私たちが、原則として、幸せであって、才能にあふれて、おもしろい人生を送っているからなのかも知れないね
少なくとも、
そうである世界のことを思い描けるからこそ、
そうであるのが当然なはずだと思うからこそ、
それが現実になっていないように感じられる、今この目の前のことが、
言葉にするだけの、意味のあることに、感じられる
自分の中で、幸せじゃないことや才能がないことが当然の事実として定着していたら、
それを言葉にしようとの考えさえも浮かんでこないよ
「ある」から、「ない」って言えるのならば、
「ない」から、「ある」って言えるかな??
これで、思い出したのは、
東南アジアのある国のこと
国民総生産は決して高くなく、文明化を敢えて取り入れないその国は、
人々が、いかに心から幸福を感じて生きるかっていう、国民総幸福度って概念を国家政策に用いてて、
実際、スローでロハスな生活を楽しんでいるらしい
経済的に豊かでない彼らだからこそ、「私達は幸福である」と言って説得力がある
そこには、何か、他の確かなものがあるに違いないって思う
ハートサポートサロン「フォルテネージュ」