子どもの頃に思っていたこと
たとえば、サハラ砂漠の真ん中に、
一生、誰にも見られることのない薔薇の花が咲いていたとして、
この薔薇の存在を、
誰がどうやったら、証明できるだろうか
証明しようと見つけてしまうと、
「一生、誰にも見られることのない薔薇の花」じゃなくなってしまうんだ
永遠に、「在る」と言い切れない
そんな存在は、果たして「在る」のかなぁ・・
今、思えば、
なんて量子学的発想なんだろう
観られないものは、ないのと、同じなんだ
子どもが、遊んでいて、
自分が何かしているところを、ママに見て欲しくて、
他のお母さんたちとおしゃべりしてるママに
「ママ、見てて!」って、よく言うじゃない?
子どもは得意気に見せつけて、ママが見ててくれたことを確かめると、それで満足する
別に褒めてもらいたいとか、じゃなくて、
ただ、見ててもらうだけで、
自分の偉業の存在が、証明できるってこと、
子どもは知っているんだよね
音波は、聞く人がいて、初めて音になる
光波は、観る人がいて、初めて光になる
観察するってことは、
その対象の質を劇的に変えるんだと思う
ファジーから、存在感が生まれ、
活き活きと、声高らかに、歌い始めるまでに
だから、私は、観察者であろうと、思うんだ