Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

母でなくてこそ、できること

2010-06-28 | フォルテネージュ


これを言うことが、
どんなニュアンスを持って、あなたに受け取られるか、
ちょっとした賭けのような気分なんだけど、












子どもの頃から、
私は、自分が母になることが、想像できなかったんだ













母としての自分が、
我が子という存在に対して、
何を言って、どう振る舞って、どんな関係を築いていくのか、

一瞬、一瞬が、闇の中を歩くかのごとく思えて、
まったく、ビジョンが浮かばないんだ

自分の中にある、「母」というアーキタイプにアクセスすることは、
途方もなく、不可能に近いように感じられて、しかたないことなんだ













母になりたくないとか、
母になる自信がないとか、
そういう表現では、私の心の真実に反するように思う

母である自分は、自分の存在形態のバリエーションの中にない、くらいに思う・・

「石女(うまずめ)」って言葉を初めて聞いたときの衝撃を今も覚えている。
日本のムラ社会では、存在価値のない、人間のくず扱いされたその種の女性たち。

それが、素直に、私自身のアイデンティティと合致したんだ














だから、私は、未だに「母」になっていない。
たぶん、今世では、これから先もないと思う













「私は母にならない」との思いは、かなり以前から漠然とあって、
夫は、それを承知で私と結婚した

子どもが大好きで、子どもの扱いがとっても上手な彼だから、
自分の子を欲しくないはずはないのだけど、

なぜだか、私と結婚したんだ

ずっと、不思議だったけど、
彼にとって、私が「子ども」なのかも知れない
















でも、私は、子ども嫌いなわけじゃない。

大学と大学院では、「児童学」という分野を学んだし、
教育実習もして、小学校教諭資格も幼稚園教諭資格も持っているし、
家庭教師のアルバイトは大得意だったし、

約20年間、家庭裁判所で、非行臨床に携わって、
毎日のように、やんちゃな少年少女を相手に奮闘していたし、

今も、NPOを通じて、
アフリカの子どもの支援を行っていて、

友達も、独身者は少なくて、皆、子を持つ親だったりする・・

「子ども」って存在とは、縁が切れたことはないって、思っている














女性の役割として、
自ら、子どもを産むことが何より重要だと言うのなら、
私は、女性ではないようだ

でも、感じるのは、

そこんとこで、

世間の常識を越える、何かを、
ものごとの真髄を、
それをしっかり見据えて、決して惑わされるなって、メッセージなんだ


母になることを選択しなかったのは、他の何かを選択するため


時間とお金と心の余裕という、恵まれた環境を活かして、
私の中から、次々に、溢れ出る、人への愛情をエネルギー源にして、

絶対に、しなければならないことを、
私にしか、できないことを、













日本の少子化に拍車をかけたというマイナスを、
取り戻して余りあるプラスの貢献を、
きっと、私は、心から喜んで、自ら進んでやっていくようになるから、

ゆっくりペースに呆れずに、どうか、見守っていて欲しいんだ














                      スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」