目に映るものはすべて自分だって言うよね
誰かを見て、
その中に、残虐性や、優柔不断さや、嫉妬や憎悪を見てとるとき、
それらは、全部、自分の中にある、自分の姿なのだと・・・
と、するとさ、
キリストが、自分を迫害する、無知な者らを目にしたときも、
キリストの中に、そういう部分があるって、解釈になるね
無知で、愚かで、自分のしていることの意味が分かっていない性質が、
キリストの中にあったのだと・・
確かに、
キリストは、自分が磔になるとき、それが復活を意味すると知らなかったから、
とっても評価水準が高いけど、「無知な部分があった」と言えなくもないかな
イハレアカラ・ヒューレン博士は、
ホオポノポノを説いてあちこち訪問しているから、
行く先々で、いろんな過酷な世界情勢を目にするよね。
そのたびに、彼は、自分の中をクリーニングするんだって。
博士曰く、
「私の中に、その問題を起こしている部分があるのだから、
ひたすら、それを、4つの言葉で、クリーニングし続けるのです。」
感受性が強く、未来が見通せる人であればあるほど、
多くの事象や、ものごとの襞(ひだ)をキャッチしてる。
他人を見ると、その人の抱えている苦悩や心の闇が分かってしまう人は、
人の闇を感じるとき、
その昔、パンドラの箱に入っていたであろう、黒くて煤けてどろどろしたものが、
どんどんと自分のほうに押し寄せてくる・・・
そんな恐怖に襲われるんだと思う
目に映るものがすべて自分であるならば、
感覚や感受性が豊かで、いろんなことが目に映る人ほど、たくさんの心的側面を持ち、
人の心に鈍感な人ほど、
目に映らないのだから、豊かな内面に乏しいってことになる??
いやいや、それは、どこか、違うよ
「自分」って、結局、「宇宙」なんだから、
すべてを含んで、自分であるってことは、誰にとっても同じなんだ
感受性が鋭い人も自分(=宇宙)の一部だし、鈍い人も自分(=宇宙)の一部。
物理次元で個体に分かれた一存在の顕在意識が、
宇宙の一部に気づいたか、どうか、
その認識を持つか、持たないかの違いがあるだけ。
だからこそ、
この世のネガティブに気づいた個体が、
さらに、自分のダークサイドに悩むなんて、
ちょっとアンフェアっていうか、ナンセンスな気がするんだ
気づかなかった個体の中にも、
それは、確実に、息づいているはずなのだから
ただでさえ、
いろんなことを感じ取る能力は、その個体を消耗させるのに、
そのうえ、
それは、お前が蒔いた、お前の中のものだ、なんて、
誰かに言うってこと自体、宇宙の法則を理解していないよ
もし、あなたが、敏感で繊細な人を目の前にしているのなら、
彼または彼女は、とりもなおさず、あなたの姿であって、その苦悩もあなたのものなんだ
目に映るものはすべて自分
それは真理。
でも、それは他人に対して言うことじゃなく、
あくまで自分に向けてこそ、役に立つことだと思うんだ
結局ね、
「自分」のことを考えていれば、
それはそのまま、「宇宙」のことを考えていることに、なるってこと
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
電車の中での、20代前半くらいの女性二人の会話が聞こえてきちゃったよ
A子 「最近の若い子にはついていけないわぁ」
B子 「そうだよね~、思うよ~」
A子 「やっぱりさあ、平成生まれの若い子たちって人種が違うんだよね」
B子 「そうだね~」
A子 「北京原人とジャワ原人ぐらい違うよ」
B子 「そっかぁ~ それは大きな違いだねえ。 北京って中国だし、ジャワって・・、どこだっけ・・・?
何たって、漢字とカタカナって、違うよね~」
A子 「分かり合えるはずないよね」
二人、笑い合う
ちびまる子ちゃんの、
まる子とたまちゃん、って感じの、キュートな二人だったよ
ジャワは、ジャワ島、インドネシアだよ!って、
教えてあげたかった、クロマニヨン人な里誉なのでした
(って、原人より、進化してるし)
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」