「おかあさん!」
まだクレジットされていませんが、女の子の名前がわかりました。
「さち」「さっちゃん」。サチは幸福の「幸」でしょうね。杏子さんを慕って片時も離れない姿がいじらしくていじらしくて・・・
杏子が焼け跡で少女と出会ってから、杏子と鈴村とサチの三人が「家族」になって欲しいと願う一方、空襲で死んだサチの両親に鈴村の妻と娘、そして今日知らされた父(「ピアノ線を返します」と言った組長さんだ)の死を痛む。中庭のベンチに腰掛け人知れず涙を流したまま二度と鈴村と再会せず、鈴村の家族も死なず、さっちゃんの両親も死なない「純情きらり」があってもいいと思った。
杏子さん、そこまで思いつめることないのに・・・
相手は、つい最近まで(今もか)「家族」よりも「冬吾冬吾」と言ってた人だから。(しつこいようだが、亨ちゃん目は大丈夫なんでしょうな。話題にも出ないところをみると)
磯さん、よかったですね。
今週は誰もが「家族が一番大事」と言いました。和之君の家族は「麹町」にもいるのだけれど・・・それに松井家は・・・「桜子」問題以前に釈然としないトシ子です。
杏子とサチの姿に「エイリアン2」のリプリーとレベッカ=ニュートの二人がかぶりました。「今度は戦争だ」がキャッチコピーでしたが、クライマックスは母性と母性の一騎打ち、結局「女は強し」でした(キャメロンの作品は皆そうですが・・・)。
「孤児」といえば、「レ・ミゼラブル」のコゼットほど有名な女性はいないでしょう。ユゴーが書いたこの長い物語の主人公は言わずと知れたジャン・ヴァルジャンですが、彼の生きがいであり行動原理になったのが、薄幸の女=ファンチーヌの遺児コゼットでした。この小説は、コゼットが登場する前に読むのをやめてしまう欠点を持っていますが(退屈なのはミリエル司教のせいではないのですが・・・)、どなたも、幼いコゼットが大きな箒を持たされているブリオンの木版挿絵を見たことがあるでしょう。この物語の魅力について話し出したら優に三日はかかりますので、一言だけ述べると、もしもこれからお読みになられる方がいたら、ユーグ版の挿絵200枚が収録されている「岩波文庫」の「レ・ミゼラブル」をお勧めします。第二部「コゼット」から読み始めるのも「読了」への近道かもしれません。5歳のコゼットがテナルディエ夫妻に虐げられる場面は何度読んでも涙涙涙・・・これで貴方もジャン・ヴァルジャンと一心同体になれるでしょう。
そのコゼット以上に心を奪われた少女が、ドストエフスキーの「虐げられた人びと」に出てくるネリーです。この物語について話し始めたら夜が明けてしまうので、やはり一言で済ませますが、小説の中の登場人物をこれほど深く愛してしまったのは初めてで、読了後三日間泣き暮らしました。ネリーが得意なのは「洗濯」、ネリーが好きだったのは・・・ときに乞食をして暮らしていました。
話は変わりますが、ネリーチカのような「虐げられた」少女は、今も世界中にたくさんいます。数年前に話題になった映画「アフガン零年」のヒロイン=マリナも、監督の目に止まらなければ、学校に行くこともできなかったでしょう。マリナは今17歳、アフガニスタンは今も、戦火と貧困にあえいでいます(劣化ウラン弾による被爆も心配です)。
まだクレジットされていませんが、女の子の名前がわかりました。
「さち」「さっちゃん」。サチは幸福の「幸」でしょうね。杏子さんを慕って片時も離れない姿がいじらしくていじらしくて・・・
杏子が焼け跡で少女と出会ってから、杏子と鈴村とサチの三人が「家族」になって欲しいと願う一方、空襲で死んだサチの両親に鈴村の妻と娘、そして今日知らされた父(「ピアノ線を返します」と言った組長さんだ)の死を痛む。中庭のベンチに腰掛け人知れず涙を流したまま二度と鈴村と再会せず、鈴村の家族も死なず、さっちゃんの両親も死なない「純情きらり」があってもいいと思った。
杏子さん、そこまで思いつめることないのに・・・
相手は、つい最近まで(今もか)「家族」よりも「冬吾冬吾」と言ってた人だから。(しつこいようだが、亨ちゃん目は大丈夫なんでしょうな。話題にも出ないところをみると)
磯さん、よかったですね。
今週は誰もが「家族が一番大事」と言いました。和之君の家族は「麹町」にもいるのだけれど・・・それに松井家は・・・「桜子」問題以前に釈然としないトシ子です。
杏子とサチの姿に「エイリアン2」のリプリーとレベッカ=ニュートの二人がかぶりました。「今度は戦争だ」がキャッチコピーでしたが、クライマックスは母性と母性の一騎打ち、結局「女は強し」でした(キャメロンの作品は皆そうですが・・・)。
「孤児」といえば、「レ・ミゼラブル」のコゼットほど有名な女性はいないでしょう。ユゴーが書いたこの長い物語の主人公は言わずと知れたジャン・ヴァルジャンですが、彼の生きがいであり行動原理になったのが、薄幸の女=ファンチーヌの遺児コゼットでした。この小説は、コゼットが登場する前に読むのをやめてしまう欠点を持っていますが(退屈なのはミリエル司教のせいではないのですが・・・)、どなたも、幼いコゼットが大きな箒を持たされているブリオンの木版挿絵を見たことがあるでしょう。この物語の魅力について話し出したら優に三日はかかりますので、一言だけ述べると、もしもこれからお読みになられる方がいたら、ユーグ版の挿絵200枚が収録されている「岩波文庫」の「レ・ミゼラブル」をお勧めします。第二部「コゼット」から読み始めるのも「読了」への近道かもしれません。5歳のコゼットがテナルディエ夫妻に虐げられる場面は何度読んでも涙涙涙・・・これで貴方もジャン・ヴァルジャンと一心同体になれるでしょう。
そのコゼット以上に心を奪われた少女が、ドストエフスキーの「虐げられた人びと」に出てくるネリーです。この物語について話し始めたら夜が明けてしまうので、やはり一言で済ませますが、小説の中の登場人物をこれほど深く愛してしまったのは初めてで、読了後三日間泣き暮らしました。ネリーが得意なのは「洗濯」、ネリーが好きだったのは・・・ときに乞食をして暮らしていました。
話は変わりますが、ネリーチカのような「虐げられた」少女は、今も世界中にたくさんいます。数年前に話題になった映画「アフガン零年」のヒロイン=マリナも、監督の目に止まらなければ、学校に行くこともできなかったでしょう。マリナは今17歳、アフガニスタンは今も、戦火と貧困にあえいでいます(劣化ウラン弾による被爆も心配です)。