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試し撮り ~JR久里浜駅

2010-10-25 22:38:05 | 日常&時間の旅


 先週の土曜日、E‐P2を片手に一ヶ月ぶりに毘沙門湾&城ヶ島に行ってきました。仕事と仕事の合間を縫うようにお昼には戻っていたので、てんかん持ちの「やせっぽち」や、人なつこいネコ、そしてネコおじさんにも会えなかったけれど(9時半まで待っていたのですが・・・)、アートフィルターを幾つか試してみて、その効果を確認することができました。写真は、美しいJR久里浜駅の駅舎。アートフィルターの【デイドリーム】で撮影してみました。デジタルになっても、PENはPENですね。楽しい~♪


 プラタナス(だよね?)の枯葉を【ポップアート】で撮れば、アスファルトの小石までが宝石に変わる? 何でもないロータリーの芝生も【トイカメラ】で撮影すると、アートぽく見えるから不思議です。


 JR久里浜駅の駅舎は、駅前ロータリーを右手に通り過ぎるたびに、いい駅舎だな~、と思っていましたが、先を急ぐあまり、一度も寄り道しませんでした。でも、E‐P2を持っている今日は、ウインカーを点灯させ、ふら~と右折しました。冒頭の【デイドリーム】と【ポップアート】を見比べると、同じ駅舎なのにかなり印象が変わってきます。最後の【トイカメラ】も味がありますね。よりトイカメラらしく見せるにはもっとピントを外す(AFをやめてMFでピントを甘くする)技もあります・・・。


冒頭の【デイドリーム】もいいけれど、【ファンタジックフォーカス】もいいですね~♪


黒船を見た? ~浦賀城跡から

2010-09-10 23:23:00 | 日常&時間の旅


 浦賀の東叶神社の境内から急勾配の階段をやっこらさと上がって(最近歩いていないので膝が笑った)勝海舟が咸臨丸でアメリカに渡る前に断食修行した奥の院を左手に山頂(浦賀城跡)に立つと、意外なほどの絶景を見ることができるので、東叶神社にお参りした際は是非ここまで足を運ぶことをお勧めします。
 勝さんだけではありません。安藤広重も山頂で絵筆を取り、『旅絵日記』五十六景の一枚を描いたのかもしれません。広重の絵では遠近法を無視して大きく描かれている燈明堂(湾の突端の岩場から顔を覗かせている堂が見えますか?)が、ここから見おろすと実に魅力的で、ニワトリさんは渡し舟で西叶神社に戻った後、燈明堂までバイクを走らせました。対岸に見えるのは房総半島です。ちなみに、ペリーの黒船四隻は、写真の左手前に停泊してたそうです。今日は空いていましたが、土日は浦賀のお祭りなので、多くの人で賑わうでしょうね!

 4時半に起きて、アオガエル君(Ninja250R)を走らせました。毘沙門湾&城ヶ島のネコたちの元気な姿を見て(残念ながらてんかん発作持ちの「やせっぽち」には会えませんでした)、浦賀に向かいました。
 個人的にはこちらの方がついでなのですが、公式的には勾玉の御守をもらってくるのがメインになっています。西叶神社の駐車場にバイクを置き、参拝後に勾玉を貰うと(買うわけだけど)、渡し舟で対岸に渡り、東叶神社に参拝して勾玉を入れる御守袋を貰ってきました。
 予定では昼前に勾玉を事務所まで届けるつもりでしたが、先に書いたように裏山を登り、さらには燈明台まで足を進め、海岸で石拾いをしてから国立に戻りました。久しぶりに、充実した休日になったかな?


 

(左)境内左手にある急階段の恵仁志(えにし)坂。かなりきつい登りですが、距離は大したことないので、是非! 息が上がったところで、クランク状の産霊(むすび)坂が立ちはだかる。膝が笑い、汗が流れ、蚊に集られ・・・文句を言ってはいけません! ニワトリさん、運動不足なのでは?
(右)産霊坂を上り切ると、勝海舟が断食修行した奥の院が現れる。緑色!の碑が建っている場所で、座禅を組んだとのこと。夏場だったら、相当蚊に食われた筈・・・。


山頂から見おろした燈明堂。あそこまで行けるのかな?  


(左)燈明台付近の海岸。静かな入り江になっている。こんな素敵な場所があったなんて・・・(ニワトリさんが知らなかっただけ。燈明台は浦賀八勝に選ばれています!)とてもいい雰囲気の浜と磯が同居していた。
(右)燈明台から先ほどまでいた対岸の山を望む。浜には宝物がたくさん転がっていた。1個拾ったらスイッチが入った? 1時間ほど宝探しに勤しむ。


 宝物とは、波と砂が長い時間かけて研磨してくれたガラスや陶器の欠片と石たちのことでした。エリリンさんも、ハート型の石などを集めていましたね。個人的には、今は廃線となった島原鉄道南線の終着駅「加須佐」の駅前に広がる海岸で、列車が折り返すまでの1時間の待ち時間に拾って以来。おやおや、クルミさんが興味津々で近づいてきました・・・!

 叶神社の記事は、 → ここをクリック。 勾玉に透明な水晶も加わりました!


変わってゆく風景と、変わらない銀座の置物?たち

2010-05-30 12:00:00 | 日常&時間の旅


 シャンテは東宝系の映画館なので、ここにゴジラがいるわけだけれど、個人的には銀座4丁目の旧服部時計店(現和光)の近くにもいてほしい~♪


 久しぶりの連休です(これを書いてる日曜日はまた夜勤で、明日は会議もあるので長~い一日になりそうです・・・)。二日目の土曜日は、Angela あんこさんが素敵なレビューを書いてくれたドリュー・バリモアの初監督作品 『ローラー・ガールズ・ダイアリー』 を観ることに決めていたのですが、7時少し前にクルミさんの目覚ましで起床したニワトリさんは、まずパソコンに向かい中央線のダイヤ情報を確かめました。
 今日(29日)の201系は【43T】という運用で、直近の動きを調べてみたら、7時45分に高尾駅を発車して東京駅に向かうことがわかりました。これに乗ると東京着が8時56分。『ローラー・ガールズダイアリー』の初回は10時50分ですが、良い席を確保するには10時頃までに日比谷の窓口に着いていた方がいいでしょう(『レスラー』のときは長蛇の列。シャンテは初回のみ先着順の自由席)。余った時間は201系に乗り続けてもいいし、朝の銀座を散歩してもいい・・・ニワトリさんは速攻で朝食をかきこみ、外出を察知したクルミさんに手首を噛まれて、7時45分に家を出ました。



 8時5分ぐらいには201系が国立駅に到着する筈です。ホームの一番後ろに立ちオレンジ色がやってくるのを待ちました。何本かE233系を見送り、8時10分に201系がやってきました。東京駅まで至福の時間が流れていきます・・・最終的には10号車から先頭の1号車まで移動しました。自分と同じ201系ファンが数名乗り込んでいて、東京駅でも10名ほどが入線してくる201系を待ち構えていました。自分も彼らと一緒に折り返そうかと思ったのですが、十字型のポイント(正式名称は知りません)を通過する201系の写真が欲しかったので、ホームから見送りことにしました。





 東京駅を降りたニワトリさんは、前売券を買おうと京橋の「オフィス・デポ」に向かったのですが、いつの間にか他店に変わっていました。前売券をあきらめたニワトリさんが、そのまま中央通りを銀座方面に歩いていくと、京橋の交差点で大がかりな解体工事が行われているではありませんか。この一帯は数年前から地上げが行われていたのですが、ようやくまとまったのでしょう。以前勤めていた会社が入っていた片倉ビル(今は落ちぶれてしまいましたが、富岡製糸工場で知られる戦前の大企業です)も含めて数棟のビルをまとめて解体しています。
 片倉ビルは昭和の名建築の一つで、佇まいに惹かれて「映画美学校」が1Fと地下を借りていました。映画のロケにも使われ、黒沢清や塚本晋也といった監督さんにもお目にかかれたのですが・・・跡地には地上24階地下4階のビルが建設される予定です。この再開発は、道路二か所を廃道にした上で3ブロックを一つにまとめて高層ビルを建てようというものですが、商業ビルができたところで採算が取れるのか、私にはわかりません・・・。
 そのまま銀座通りを歩いて行ったのですが、たった数年で景色がずいぶん変わってしまいました。帰りに東京駅まで丸の内口を歩いたときは、「ぬりかべ」と化した東京中央郵便局の残骸も目撃しましたが、変貌する街並みの中で変わらないものといえば・・・


    

天賞堂の天使君。誰のハートに恋の矢を射ようとしているのしょう?


    

 宝くじ売り場で有名な数寄屋橋の交差点広場には、長崎の「平和祈念像」で知られる北村公望の銅像彫刻「燈薹」が関東大震災被災十周年に設置された記念塔の上に飾られました。


    

 その裏には「はぐれっ子」の彫像が・・・後ろの桜も「はぐれ桜」と呼ばれているそうです(写真左)。晴海通りを挟んだ向かいの公園には、岡本太郎さんの作品が立っています(写真右)。実をいうと、長年ここを通りながら「灯薹」と「はぐれっ子」に気がつきませんでした。


    

 最後に日比谷「合歓の広場」のゴジラの勇姿を。小さいけれど躍動感に溢れています! ここには、スターの手形も飾られてます。そのうち紹介しようかな?

 もう1本観る予定でしたが、『ローラーガールズ・ダイアリー』がとても良かったので余韻に浸ることにして、近くの普通においしい中華料理店でお昼を食べてから、201系が来るまでに待たずに真っすぐ帰宅して(携帯から検索すればいいのに・・・)、クルミさんと昼寝しました。でも頭の中は、やせっぽちのことが気になって・・・。


叶神社は面白い!

2010-05-27 23:50:50 | 日常&時間の旅

 見事な二本の蘇鉄(樹も狛犬に見える)が南国ムードを醸し出している西叶神社。海に面している壱の鳥居が見えるかな?


 「神社が面白い!」なんて言うとひんしゅくを買うかもしれませんが、叶神社は実にいいですね~(叶姉妹には何の興味も覚えませんでしたが・・・)。ニワトリさんの好みをわかっているというか、ツボを心地よく刺激してくれます。二度目の参拝で、いよいよ気に入りました。というのも・・・

① 考え方次第では「ぼったくり」(500+500=1000円は高い?)とも言えるが、東叶神社で購入したお守り袋に西叶神社で購入した勾玉を入れて完成、という(スタンプラリー的な)手続きがマニア心をくすぐる。
②両神社が海に面していて、渡し船に乗って両神社をお参りすることができる。(船賃=往復300円かかるけれど)優雅で趣がある。
③両神社の神殿の造りが面白い。西は装飾が凝っていて東はシンプル。
④両神社の狛犬が面白い!
⑤まだまだ面白いものがありそうな予感・・・。


(左)仮船着き場(現在工事中)で船を待ちます。どちらから乗船してもいいのですが、浦賀の駅から近いのは西叶神社。
(右)渡し船は12時~13時の休憩時間を除いて休みなく行き来しています。回転の良さは山手線並み?


(左)客を降ろすとすぐに出航します。着座位置が低く、ワンボックスからスポーツカーに乗り換えた感じに海面が近くなります。180度ターンして走り出すと風が起こり、心地の良い風を浴びながら向こう岸に向かうのですが、水に近いことがこんなに気持ちがいいとは・・・カヌーやヨットに乗りたくなりました。画面中央にある東叶神社のうぐいす色の屋根が判別できるかな?
(右)乗船時間は2分以下? 150円の乗船賃は時間換算すると割高な気もしますが、爽快感ではお釣りがきます。画面中央より左にある西叶神社の屋根は殆ど判別不可能だけれど、岩肌がむき出しになっている向かって左の崖の下が西叶神社です。


渡し船から見た東叶神社の神殿の屋根


対岸の船着き場から見た西叶神社の大鳥居と神殿の屋根


(左)11時半過ぎに乗船したので、休憩時間に入る前に向こう岸に帰れるようにダッシュで東叶神社にお参りして船着き場まで戻りました。でも、渡し船は片道約2分かけて休みなく往復しているので、その心配は杞憂だったかも?(11時49分に戻ってきた)。写真の人は仲間に浦賀案内をしていました。ものすごく詳しいので、ニワトリさんも耳をダンボにしてました。
(右)我々を降ろすと、直ちに向きをかえて向こう岸に渡ります。働き者の船ですね~。また乗りたいな!


 

 西叶神社の神殿は、非常に凝った彫刻が施されています。写真はありませんが、神殿内部も豪華絢爛でした。


   

 左右の狛犬と立派な蘇鉄。右写真の蘇鉄は、左写真と同じ画角では納まらないほど首が長い。さながら、ヒュドラ対キングギドラ! 蘇鉄の根っこのあたりに注目すると・・・


もう一頭の狛犬が! なかなか可愛いポーズで立ってました。


 東叶神社の境内。海が近いので景観が良い。『龍馬伝』にも登場する勝海舟は、咸臨丸でアメリカに渡る前、東叶神社で航海の安全を祈願し断食したそうです。


東叶神社の狛犬。邪鬼を踏みつけているように見えるけれど・・・


仔犬をあやしているか乳を与えているようにも見えます・・・


 叶神社の勾玉セット(右を火曜日、左を金曜日に購入)とエリリンさんに教えてもらった骨董屋さん「ガーネット」で購入したミニくるみさん。「ガーネット」は西叶神社のはす向かいにありました。前回は定休日の火曜日に訪れたので気がつかなかった? 「宝の山」の骨董屋さんでした。一日いても飽きないけれど、短い時間にニワトリさんは、金属製(造り方を説明してもらったのですが・・・)の精巧なカニの置物と、中国風の顔立ち&衣装の博多人形(だとは実は言われるまで気がつかなかった)が気になり、ちなみに値段を聞いてみたら、カニ=6000円&人形1万4000円! これぐらいでビビっていたらいけないのですが、気に入った品が「ガラクタ」じゃなかったので自分の「目利き」については納得した? ちなみに、このネコの置物は・・・勾玉より安い300円! というわけで、包んでもらいました。良かったニャン~~♪

  明日もまた城ヶ島まで散歩に行くかも? (行ってきました)
 叶神社のHPは、 → ここをクリック


廃墟の城ヶ島ユースホステル

2010-05-24 12:01:30 | 日常&時間の旅


 城ヶ島大橋を渡って城ヶ島公園の坂道を上っていくと、右手にウミウの生息地になっている断崖絶壁を望みつつ「馬の背洞門」と城ヶ島灯台まで続いている遊歩道が現れます。すぐ近くを左に曲がれば城ヶ島ユースホステルがあって、城ヶ島を一周するときのベース基地!として、うってつけの位置に建っていたのでした。
 小学校を卒業して中学に入学するまでの春休みに、電車とバスを乗り継ぎ一泊二日の行程で三浦半島を一周する旅行を計画しました(今でいえば、卒業旅行ですね)。そのとき初めて城ヶ島ユースホステルに宿泊したのですが、ユースホステルを利用したのもこのときが初めてで、子供たちだけで宿泊するのも、旅の行程表を自分たちで作って皆に配るのも(コピーなんてその時代はなかったので、ガリ版で作った?と思う。『ゲゲゲの女房』にも出てきましたね!)、全て初めてずくしの「大冒険」でした。観音埼&剱崎&城ヶ島の三灯台と城ヶ島をすっかり気に入ってしまったニワトリさんは、中学卒業時に二泊三日の行程に拡大して、同じコースを友達と旅しました(このときはバスを使わず歩いた。自転車隊と二日目に合流)。
 そんなことから、三浦半島と城ヶ島は自分の原点みたいな場所になったのですが、最後に城ヶ島を訪ねてから15年以上が既に経過してしまいました。再びオートバイに乗り始めた去年、子供時代の旅を辿るように、アオガエル君に乗って三浦半島を一周したのですが(「センチメンタル・ジャーニー」の題名で記事も書きました)、時すでに遅く、城ヶ島ユースホステルが閉館されてしまったことと(2003年8月31日に閉館)、城ヶ島と油壺を結ぶ遊覧連絡船が2007年に廃止されたことを、そのとき初めて知ったのでした。

 城ヶ島ユースホステルは1962年に開業し、観光客や学校&企業の団体利用など昭和40年代には年間一万人以上の利用客がいたそうですが、右肩下がりで減少していき、21世紀に入ると4000人程度まで減ってしまい、夏季以外は閑古鳥が鳴いていたそうです。当時は非常にモダンだった建物も、築40年と老朽化が進んだことから、所管していた神奈川県が廃止を決定しました。でも、建物を解体する予算すらなかったのでしょうか、今も在りし日の姿のまま、建っています。跡形もなく消滅してしまうよりも、このまま廃墟として残ってくれればいい、と思います。


(左)敷地内に入る道路を封鎖しているフェンスの金網が破られていて、そこから望遠レンズでユースホステルを覗き込むと、懐かしいロータリーと、モダンなガラス張りのエントランス&ホールが見えた! 中央の出っ張りが玄関で、右手がエントランスホール、左手が食堂ホールだった? ガラスの部分は塞がれています。
(右)こちらが確か宿泊棟だと思います。二段ベットの6人部屋と8人部屋だったかな? もう一度泊まりたいなあ・・・。

(左)位置関係がわかる写真が見つかったので追記します(去年5月の夕方に撮影。子供時代のアルバムは屋根裏の奥の奥で眠っている)。城ヶ島公園の有料駐車場の手前に、ウミウ展望台を経て馬の背洞門&城ヶ島灯台方面に向かう遊歩道の入口がある。
(右)道路を挟んで斜め向かい側に城ヶ島ユースホステルがあった。この看板は先日訪ねたときはなかったかも? 誰かが記念に持って行った?


復活、鉄塔国分寺線!

2010-05-15 23:25:00 | 日常&時間の旅


    

 一人乗りの円盤に乗って宇宙人が襲来? 午前9時、窓越しにいきなりこんなのが現れたら・・・急いで壊れたカメラを手に取りました。ゴンドラの一種でしょうか? スゴ~~い! 送電線にワイヤーのようなものを巻きつけながら23号鉄塔から22号鉄塔へ移動して行きます。スカイツリーのてっぺんで作業している鳶職人も凄いけれど、匠の技に感服するばかり・・・。


 鉄塔国分寺線がリニューアルされました。家の近所の23号鉄塔から21、20、19・・・という具合に、鉄塔と送電線がリニューアルされたのです。そして今朝、最終的な?工事(送電線に強度を持たせるためでしょうか、上からワイヤー状のものをらせんに巻いてます)が始まり、部屋の窓から身を乗り出して見学しました。
 工事は去年の秋頃から始まりました。珍しさもあって、ときどきカメラを持って見に行ったのですが、肝心の部分が抜けてしまい残念です。滅多に見られない工事だし、定点観測すべきだった? 不完全だけれど、23号鉄塔の工事についておさらいすると・・・

①敷地内に新しい鉄塔を建てました。 (写真&記事あり)
②新しい送電線が23号鉄塔まで張られました。
③古い送電線を巻き取っていきます。23号から21号鉄塔までの送電線が全て撤去され(20号から先は未確認)、鉄塔だけになりました。 (写真&記事あり)
④23、22、21と、古い鉄塔が撤去されました(わずか1~2日で消滅)。父の話によれば、それから先の鉄塔も撤去されたとか・・・でも、どこかが停電しているわけでもなく、消えた送電線の謎は深まるばかり。鉄塔が完全に撤去されたのは去年の12月頃だったと思います。
⑤新年を迎えても送電線は消えたままなので、23号鉄塔から先の鉄塔は要らなくなったものだと解釈しました。送電線が消えただけでずいぶん空が広くなるものだと感心したのですが、五線紙にも似た送電線がなくなってしまうと、一抹の寂しさも覚えました。中央線から高台の23号鉄塔を見上がると、送電線が途切れていることが青空を背景にはっきり見えて面白いので、いつか写真を撮ろうと思っていたのですが・・・
⑥23号から先の鉄塔が立ち始めました(未確認)。
⑦送電線を巻き取ったのと逆のやり方で、送電線を張っていきます。とはいえ、最初の1本をどうやって張ったのか目撃しておらず、ニワトリ頭では皆目見当がつきません。
⑧工事は終わったと思ったのですが、今週半ばから何やらカンカンと金属音や人の声がマイク越しに聞こえてくるようになり、今日・・・!(冒頭の写真)


 4月16日。今にも雨が降ってきそうな空の下で、新しい送電線を張っています。それにしても、最初の1本をどうやって張ったのでしょう? 


 完成?した23号鉄塔(5月15日)。真新しい送電線が銀色に輝いています。以前より送電線の数が増えたような気がしたのですが、どうやら同じです。


プレアデス星団のような並びをしていますが・・・ほんとに凄い!


 今日は「仕事」で、深大寺に行ってきました(カメラはなし)。二人が歩いた境内を歩き(池を見下ろす渡り廊下は通行不可)、いつもの店で深大寺そばも食べてきました。鬼太郎茶屋は混んでいて寄れなかったけれど、布美枝がお土産に買ってもらった赤駒も、ちゃんとありました!(放送されるまでは気づかなかったのですが、たぶん昔からあったのでしょう・・・)


心やすらぐ風景 ~千葉県東庄市

2010-05-06 22:40:50 | 日常&時間の旅



 今年のGWは、五連休という人が一番多かったのではないかと思いますが、ニワトリさんは四連休・・・では
なくて、四連勤! それも夜勤を二回挟んで四日間で54時間も働いてしまいました。
 二月から始まったハードな日々も、とりあえず今日でひと段落したので、今は平和な気分に浸っています。
(といっても、日曜日からまた・・・)
 写真は、千葉県東庄の高台から眺めた景色です。一面に広がる田んぼの海と、海に浮かぶ島にも見える
里山。水田を縫うようにカーブしながら軒先まで敷かれた一本道と、田んぼを跨いでニョキッと立ち等間隔に
並んでいる足長の鉄塔たち・・・カエルの唄が高台の丘まで届いてきて、のどかな気分に拍車をかけます。
(仕事とはいえ、こういう風景の中にいたのだから良しとしましょう)
 明日は、ひたすら充電に努めますが、今日、ダイヤ編成から外れた筈の201系を目撃し、そちらの方の
虫が少し騒いでいます。さて・・・


 映画『鉄塔武蔵野線』のように、鉄塔を追って道なき道を行きたくなりました・・・。


山都へ ~宮古そば&温泉

2010-04-14 23:40:00 | 日常&時間の旅


 夜勤明けに仕事絡みで福島県の「山都」まで行き、その日(13日)は「一ノ木」の「いいでのゆ」に泊まり、翌日14日の昼過ぎに東京へ戻ってきました。今回は完全に「仕事モード」だったので、カメラを持って行かなかったのですが、おいしい宮古そばを食べ、温泉にも浸かり、通り過ぎただけだけれど、明治41(1908)年に架橋され明治43年に開通した磐越西線の「一ノ戸陸橋」も、この目でしっかり見てきました(橋脚の色が黄色というのはどうかと思ったけれど、去年塗り替えたとのこと。自分が4年前にC57-180に乗って鉄橋を渡ったときは確か赤だった)。最後に飛んだオチがついてしまったのですが、楽しい一昼夜でした~♪

 それにしても、このところ気温の変動が激しすぎます。夜勤の12日は凍える雨が降り、昨日(13日)は半袖になりたいくらいのポカポカ陽気(実際、セーターを脱いでTシャツ姿になった)で、今朝は何と雪! 磐梯山付近は一夜にして雪景色に変わってしまいました。外気温が5~7℃でしたが、風が強く体感温度は0℃ぐらい?
(明日は東京地方も真冬に戻るらしい・・・大丈夫か、ツバメ?)
 最初の予定では、自分は9時半まで仕事をしてから鉄道で「山都」に向かい、15時に「車」組と合流することになっていたのですが、諸々の事情から引き継ぎ時間を30分早め、一緒に「山都」へ向かうことになりました。
 所用時間だけを取れば鉄道と車は互角ですが、鉄道は乗り換え&乗り継ぎが多く(主な駅だけでも、大宮、郡山、会津若松)その際の待ち時間も長いため、手ぶらならまだしも荷物があれば、誰でも車の方が便利だと思うでしょう(複数乗っていれば交通費も安上がり)。
 首都高の「山手トンネル」が開通し、三宅坂まで行かずに東北自動車道方面に回れるようになりましたが、確かに便利になったと思いました。郡山インターから先も、磐越自動車道を会津若松までノンストップで走れるため、一般道を殆ど走らずに済んでしまい(そういえば、信号待ちが皆無に近かった)、「どこでもドア」ではないけれど、ものすごく身近に感じられます。ひと昔前の、軽井沢方面に出かけるのと同じ感覚で会津若松まで行かれるとは・・・磐越自動車道が磐城から新潟まで開通してから10年以上が過ぎましたが、ほぼ同じルートを走っている磐越東線&磐越西線を利用する人の数は、いよいよ減ってしまったでしょうね・・・。 
 途中「ナビ」が変わった道を指示したために(アナログ人間の自分は道路マップを渡され、「ニンゲン・ナビ」として活躍しました)、会津坂下インターから山都まで思い切り遠回りをしてしまったのですが、その道が観光ルートといってもいい感じの道で、磐越西線を走る気動車ともすれ違うことができ、3両編成の車両(何かと嫌いなキハ110系の混成だった)を拝むように見送りました。

 「山都」といえば「宮古そば」が有名です。用事を済ませると、「山都」出身の方が「いしいのそば」まで道案内してくれました。自宅の湧き水で打った自慢の蕎麦(「水そば」と言って、麺つゆ&薬味の類を一切使わない。手打ち蕎麦を食べるときに、つゆに浸けないで味見をすることがあるけれど、それと同じで、そうめんのように水に浮いている蕎麦をそのまま口に運ぶ)が絶品で、私などは「麺つゆ」の方を試した程度で、殆ど水だけで食べてしまいました。刺身こんにゃくや山菜、自家製の黒豆も素朴においしかったです。
 つなぎの入らない十割そばはあまり好きではないですが、「いしいのそば」は非常に美味しく、築百年以上と思われる伝統的な家(店に改造)のつくりもその味にひと役買っているのかもしれません。一番寄与しているのが雪解け水などの豊かな「湧き水」で、コップに注いだ湧き水をひと口飲めば「すうっー」と体内に沁みていき、体感的な浸透度はスポーツドリンクの比ではありません。味に関しては、「甘露」という言葉とは少し趣が異なるのですが、お金を払って水を買うのが馬鹿らしくなるほど美味しい水でした。

 遅い昼食でお腹が膨れたあとは、飯豊山の麓にある温泉「いいでのゆ」(ふるさと創成事業で掘削された温泉。平日だったこともあり、我々8名を含めて宿泊客は10名。素泊まり客も若干いた模様)で一泊しました。
 豪華な夕食(ここでも自慢の「山都そば」が出た)を食べ、ちょっと塩からい温泉に朝晩三度も浸かりました。山の中の一軒家なので、晴れれば満天の星空も期待できます(露天風呂もそれが売りですが、間接照明のせいで星の数が少なくなってしまうのが残念。朝の雪風呂も風情があった)。

 翌日は、午後から皆仕事が入っていたので、朝食を食べると慌ただしく東京に戻ったのですが、東北自動車道の走行車線を流れに乗って120km/hの速度で走行中に覆面パトカーに捕まってしまい、違反切符を切られてしまいました(1km違いで減点も1から2へ・・・)。最高速が80km/hに制限される磐越道の一部の区間では速度超過を警戒していたのですが、東北自動車道に入ってからは、この速度で捕まるとは夢にも思わず、完全に油断していました。
 確かに違反には違いありません。でも、追い越し車線を猛スピードで追い越していった高級外車やスポーツカー&飛ばし屋を捕まえずに、普通に走っているニワトリさんを捕まえるとは・・・。
 一般的に高速道路は法定速度よりも速い速度で自然に流れているので、このやり方なら幾らでも違反切符を切れるでしょう。「こんなやり方で違反切符を切るより、明らかに暴走している車をちゃんと追いかけてください」とパトカーの中で嫌味を言ったところ、「きちんと捕まえています」と涼しい顔で言葉が返ってきました。自分が切符を切られている間にも、ベンツが猛スピードで追い越し車線を駆け抜けていきました。元をただせば、覆面パトカーが後ろに付いたことに気づかなかった自分が悪いのですが、どうにも納得がいきません。
 その昔、制限速度の7kmオーバーで捕まったことがありました。そのとき警察官から「運が悪かったね~」と言われ、いよいよ頭に来て、「『運が悪かった』とはどういうことなの? 毅然として『7kmだろうと違反は違反』と答えるべきじゃないの? それなら自分は、運が悪かったから違反切符を切られ、減点された上に反則金を払うのか? 実際の話、そう自分に言い聞かせて反則金を振り込むのだけれど、貴方はそれを認めるのか? そんなバカな話はあり得ない筈で、だったらこのまま行かせろよ!」と、猛烈に怒ったことまで思い出しました・・・。

 ストレス解消のために「恥」をさらして書いちゃったけれど、実に愉快な小旅行?でした~♪


浅草「花やしき」 ~Beeタワー&その他もろもろ

2010-01-18 12:00:00 | 日常&時間の旅

「花やしき」のシンボル「Bee タワー」。ワクワクしながら順番を待つのは何十年ぶり?


 「花やしき」の記事(思い出)をまとめます。「花やしき」には、昔ながらのアトラクションに交じって新たなアトラクションが多数あります。狭い敷地を工夫して遊具を増やしている点は大したものですが、ローラーコースターや
Bee タワーのように、「多少陳腐化しようとも、変わらないものが世の中にもう少しあっても良い」ことを気づかせてくれる点が、「花やしき」の魅力の最たるものだと思います。
 「自分が年を取って来たせいでノスタルジアに浸っている」とも言えますが、子供の頃の風景がどこかに残っていて欲しいと、誰もが多少なりとも考える筈。遊園地にしても、大人になって久しぶりに訪ねたときに(自分の子供を連れていったときでも)、全て新しいアトラクションに更新されてしまっていたら、何となく寂しい気持ちを覚えるのではないでしょうか。
(でもまあ、遊園地には定番アイテムがあって、全てが変わることはまずないから大丈夫?)
 変わってゆくことは避けられないし、変わっていかねばならないことも多々あります。それでも、「記憶に残った景色」に出くわしたときの喜びは、年を取るほど増してゆくのはなぜだろう? 残り時間がだんだん少なくなってきていることとも関係しているのかもしれませんが、時を超えてそこにある事物に対する気持ちは、最新のスタイルよりを追い求める気持ちより遥かに強く、その中でも最も愛着を感じるのが、やはり自分が少年時代を過ごした70年代になってしまいます。

 こうした個人的なこだわりがなくても、自分は荒俣宏さんなどと同じで、一番新しいものにも興味を覚えますが、それよりも、一番新しかったものがいかに陳腐化して忘れられてしまうか、という方に興味があって、人々から忘れ去られてしまった頃に一番魅力を感じます。
(それが行きつくと「廃虚」になってしまうのですが、今のところそこまで行っていない・・・)
 流行を追いかけるのも大変だけれど、こちらの方もうかうかしていられません。「生き急ぎ」と言われても、なくなる速度に全然追いつけないのが現状です。やれやれ・・・。でも楽しいなあ~♪
(なくなるのが楽しいというのは変だけど)


(左)いよいよ搭乗です(でも、待ち時間は正味10分ほどでした)。ぐるぐる回りながら徐々に高度を上げてゆく・・・これがいいわけ!
(右)地上45mの快感! 浅草一帯が見渡せます。デビューは何と、昭和25(1950)年! 何人の人々が、この景色を眺めたのだろう?


浅草寺の五重塔もこのとおり、その後ろにアサヒビール本社の金斗雲も見える!


     

(左)夕暮れ迫る「Bee タワー」。後ろ髪を引かれながら遊園地を後にしました・・・。
(右)手前の円盤は、2007年にお目見えした絶叫マシン「ディスク・オー」。高速で回転しながら弧を描いたレールの上を行ったり来たりします。回転系は苦手なので体験せず・・・。


     

 こちらは、椅子に腰掛けた状態で地上60mまで一気に上昇する「スペースショット」。そのあと、半分近くまで下降してもう一度上まで昇ってからゆっくり地上に降りてくる。最後は遊泳気分だけど、最初の上下は悲鳴も出ないほどのショック? 回転系と違って上下の動きにはそこそこ耐えられるため、二度も乗ってしまいました。これも近年になって増えたアトラクション。


 なかなか見かけなくなった「ビックリハウス」と「カーニバル」。リニューアルされながら、今も健在なのが嬉しいです~♪


 「カーニバル」は酔いそうで乗らなかったけれど、「スワン」と「メリーゴーランド」は子供をダシにしないと乗れません。でも、お馬さんや馬車に、楽しそうな子供たちの表情を見ているだけで満足!


 そして・・・ある意味「ローラーコースター」より思い出深いのが、この「スリラーカ―」。行くと必ず乗るのだが、扉を開けて真暗闇に飛びこんだ途端、怖くて目をつぶってしまい、明るくなるまで目を開けられなかった自分・・・瞳を閉じた頭の中でどんな化け物が登場していたのか? 今となってはさっぱりわからないけれど、最も怖い乗り物でした。当時とは車も変わっていると思うけれど、最後にゴーレム?から息を吹きかけられるところなど昔のままでした。ここで毎回飛び上がるほど驚いたっけ・・・これも、2回乗っちゃった!


前をゆく勇気ある子供。自分にもこんな時代(目をつぶっていたけど)がありました~♪

 「花やしき」の公式HPは、 → ここをクリック


浅草「花やしき」 ~日本最古のローラーコースター

2010-01-16 23:39:00 | 日常&時間の旅


 「花やしき」のアトラクションには40年以上稼働しているものがあり、子供時代に「ローラーコースター」「Bee タワー」「メリーゴーランド」「スリラーカ―」「びっくりハウス」に乗りました。「カーニバル」もあったような気もしますが、自分は高速回転系のアトラクションに弱く、乗った記憶がありません。手軽にスリルが味わえる「カーニバル」は、どの遊園地にもあった人気アトラクションでしたが、今は非常に地味な存在になってしまいました。
 そういえば、「コーヒーカップ」も見当たりません。昔はあったのか?乗った記憶がないのでわかりません。そもそも西武遊園地で「コーヒーカップ」を回し過ぎて気持ちが悪くなってから、高速回転系が苦手になったのでした。それから、白鳥型のボートが小さな池の中をぐるぐる回るだけの「スワン」というアトラクションも、昔からあったような気がします(小さな遊園地には必ずあったよね!)。
 上の写真は、左の軌道が下がりミニモノレールの「スカイシップ」、右の軌道が同じくミニモノレールだけど自分の足で漕がねばならない「ヘリコプター」(一台通過中)背後に「Bee タワー」です。こうして見ると、「花やしき」とは思えない?


(左上)ローラーコースターの最高時速は42km/h。昭和28(1953)年に設置されてから半世紀以上の歳月が流れた。発進するとすぐ、急勾配をカタカタ上っていく。
(右中)最初の落下。コースターのレールを支える支柱が、取り壊される予定の建物から突き出ている。新たな支柱を造ってから、建物を解体するのだろうか?
(左下)2回目の落下。銭湯「花の湯」の入口に飛びこむ。2回目の落下が一番怖い!


    

(左)銭湯を駆け上がるコースター。開業当時のロケット形になった。「花やしき」のコースターは速度が遅いけれど、民家の軒先を通過するなど、スリル満点の乗り物だった。
(右)最後の坂を通過する。小さい頃、必ず2回乗っていた。

 中途半端だけど、明日は真岡鐡道のSLに乗ってきます。18きっぷも使い切ったぞ~♪