浅草「花やしき」の歴史は、園内のほぼ中央にある「しあわせ橋」(小さな滝と池に赤い橋が架かっているのですぐわかる。アトラクションの「ぴょんぴょん」の前)横の案内板にも記されています。
時はお江戸の嘉永6(1853)年、造園師の森田六三郎が開園しました。「花屋敷」という呼び名のとおり、牡丹と菊を中心に百花百草を栽培した植物園で、ブランコが唯一の遊び道具だったそうです。明治以降、トラやクマなど動物の展示を行い、5階建てのランドマーク「奥山閣」を建設、建物内に様々な見せ物を展示したり、遊具機械を設置するようになりました。出し物で面白いのは、生き人形やマリオネットといった大道芸に、自分も小さい頃どこかで見たことがあるのですが、ヤマガラの芸。可愛かったな~、ヤマガラ!
明治17年の法改正により、浅草の娯楽施設は全て六区に移設されますが、「花屋敷」だけは現在の五区に残されました。大正時代には動物園としても知られ、トラの五つ子や、日本初のライオンの赤ちゃんが誕生しました。けれども、関東大震災の際に、被災者が園内に避難してきたため、多くの動物を殺処分するという悲しい出来事が起こっています。私は確認しなかったのですが、園内に鳥獣供養碑が建てられています。閉館になったお化け屋敷あたりにも動物たちがいたそうで、「本物の幽霊が出る」という都市伝説も、そのあたりの事情から起こったのかもしれません。
「花屋敷」は第二次大戦中に閉鎖されましたが、戦後2年目の昭和22(1947)年には遊園地として再営業を始め、日本初のローラーコースターや、浅草のシンボル的存在でもある「Beeタワー」が設置されていきます。
いつも思うのだけれど、先に予習してから訪ねるべきかも・・・色々歴史を知ってしまうと、また行かざるを得なくなるから。でも、何というか、最初はまっさらだった子供時代と同じ気持ちで訪ねてみたかったのでした。
まずは、浅草寺へお参り。外国人も多く訪れていた。
(左)中門の手前にある「時の鐘」。江戸時代から使われてきた。松尾芭蕉も「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と、一句詠んでいる。
(右)向かって左の五重塔。雲一つない青空にすくっと建っていた。
(左)仲見世通りは、正月の準備を迎えていた。人通りも半端じゃない。
(右)本堂はご覧のとおり大修繕中! お目見えは来年の1月末。
(左)「花やしき通り」に入ると、すぐに見えてくる「Beeタワー」。昔は「人工衛星塔」と呼んでいたと思う。昭和25年に建てられた。地上45mまで上昇する。
(右)向かって右にもタワーが・・・何だろう? この忙しいのに、パソコンがいかれました。数年前の悪夢がよみがえる・・・。