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浅草寺&花やしき

2010-01-14 12:59:00 | 日常&時間の旅

 
 浅草「花やしき」の歴史は、園内のほぼ中央にある「しあわせ橋」(小さな滝と池に赤い橋が架かっているのですぐわかる。アトラクションの「ぴょんぴょん」の前)横の案内板にも記されています。
 時はお江戸の嘉永6(1853)年、造園師の森田六三郎が開園しました。「花屋敷」という呼び名のとおり、牡丹と菊を中心に百花百草を栽培した植物園で、ブランコが唯一の遊び道具だったそうです。明治以降、トラやクマなど動物の展示を行い、5階建てのランドマーク「奥山閣」を建設、建物内に様々な見せ物を展示したり、遊具機械を設置するようになりました。出し物で面白いのは、生き人形やマリオネットといった大道芸に、自分も小さい頃どこかで見たことがあるのですが、ヤマガラの芸。可愛かったな~、ヤマガラ!
 明治17年の法改正により、浅草の娯楽施設は全て六区に移設されますが、「花屋敷」だけは現在の五区に残されました。大正時代には動物園としても知られ、トラの五つ子や、日本初のライオンの赤ちゃんが誕生しました。けれども、関東大震災の際に、被災者が園内に避難してきたため、多くの動物を殺処分するという悲しい出来事が起こっています。私は確認しなかったのですが、園内に鳥獣供養碑が建てられています。閉館になったお化け屋敷あたりにも動物たちがいたそうで、「本物の幽霊が出る」という都市伝説も、そのあたりの事情から起こったのかもしれません。
 「花屋敷」は第二次大戦中に閉鎖されましたが、戦後2年目の昭和22(1947)年には遊園地として再営業を始め、日本初のローラーコースターや、浅草のシンボル的存在でもある「Beeタワー」が設置されていきます。
 いつも思うのだけれど、先に予習してから訪ねるべきかも・・・色々歴史を知ってしまうと、また行かざるを得なくなるから。でも、何というか、最初はまっさらだった子供時代と同じ気持ちで訪ねてみたかったのでした。


まずは、浅草寺へお参り。外国人も多く訪れていた。


     

(左)中門の手前にある「時の鐘」。江戸時代から使われてきた。松尾芭蕉も「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と、一句詠んでいる。
(右)向かって左の五重塔。雲一つない青空にすくっと建っていた。



(左)仲見世通りは、正月の準備を迎えていた。人通りも半端じゃない。
(右)本堂はご覧のとおり大修繕中! お目見えは来年の1月末。


     

(左)「花やしき通り」に入ると、すぐに見えてくる「Beeタワー」。昔は「人工衛星塔」と呼んでいたと思う。昭和25年に建てられた。地上45mまで上昇する。
(右)向かって右にもタワーが・・・何だろう?

 この忙しいのに、パソコンがいかれました。数年前の悪夢がよみがえる・・・。


さよなら、昭和の「お化け屋敷」&「ミラクルストーン」 ~浅草「花やしき」

2010-01-13 23:59:50 | 日常&時間の旅


 「本物が出る・・・」と噂された浅草「花やしき」のお化け屋敷が、今月1月11日にお化け屋敷が入っている建物の老朽化のため、26年の歴史に幕を下ろしました。新聞によると、この日はアトラクション廃止のお払いもお客さんに公開し、閉園時間後も20時までドリンク代500円(なぜドリンク代だったのだろう?)でお化け屋敷だけ特別営業し、約600人が最後の恐怖を味わうため並んだとか・・・悲鳴を上げっ放しの子供や、泣きながら出てきた女子学生に、「見えちゃいけないものが見えた」と青ざめて出てきた男性会社員などなど・・・大いに盛り上がって最後のひとときを過ごしたそうです。
 ニワトリさんは、閉園前にもう一度行かれなかった「多摩テック」の敵を打つ、というか、「花やしき」は幼少の頃から慣れ親しんだ「最初の遊園地」なので、「これは絶対外せないな」と思い、年末29日に映画を見た後に立ち寄りました。

 小さい頃、新橋の親戚に遊びに行くと、お墓が田原町にあったことから、よく浅草へ連れて行ってもらいました。雷門から仲見世通りを歩き、浅草寺をお参りしたあと「花やしき」で遊ぶ・・・というコースは、途中であんみつなど甘いものを食べたり、おいしい食事に人形焼や雷おこしのお土産付の、最高に楽しく贅沢な一日でした。「花やしき」で遊ぶ頃には、大抵日が暮れてしまっているのですが(今より遅くまで営業していたと思う)、夜の遊園地がとても刺激的で(何より電飾がきれいだし)、心を躍らせながら遊んだことを、今も懐かしく思い出します。
 
 ところがですよ、よくよく考えてみると、このお化け屋敷に入った記憶がありません。お化け屋敷が閉館する記事を読むまで、怖くて入れなかったのだと思っていたのですが(自分の足で歩くタイプのお化け屋敷に入ることができるようになったのは高校生から・・・)、お化け屋敷が開館したのが1984年だと知って、自分が「花やしき」で遊んでいた頃はお化け屋敷がなかったことが判明しました。
 最後に「花やしき」に入ったのは、それより10年近く前の話・・・その当時、「お化け屋敷」の代りに何があったか全く記憶にないのですが、「お化け屋敷」と同時に閉館となる(同じ建物内なので)「ミラクルストーン」(迷わない迷路?)を歩いたところ、このアトラクションも記憶になかったのですが、それ以前にも「ミラクルストーン」と同じように歩いて回るアトラクションが、ここにあったと記憶しています。鏡の部屋(凹面鏡や凸面鏡以外に『燃えよドラゴン』に出てきたような鏡の迷路もあったかもしれない)に、回転灯がくるくる光るトンネルがあり、足元がローラーやゴムになって歩きにくかったり、入口が狭かったり、ジャングルジムのように入り組んでいたり、今でいうフィールドアスレチックにも似ていました。個人的には、「花やしき」で一番好きなアトラクションで、毎回必ず入場していました。

 盛り上がっていた人々に水を差すようで申し訳ないのですが、「お化け屋敷」は既に工事が始まっていて、「お化け」の代わりにブルーシートが見え隠れしたり、本当だったら、ここで動き出すのではないかと思われる「からくり」が動かなかったり、「これなら壊されても仕方がない」と思うほど、くたびれていました。幸いなことに、入場者がそれほど多くなかったために、相当時間「お化け屋敷」の中にいることができ、帰り際に再入場して、最初で最後の「お化け屋敷」に別れを告げました。そんなわけで、何の恐怖も感じずカメラを構えながら館内を歩き回ったのですが、その際本来そこにないものを見ていたとしたら・・・本物の怪談話になりますね!


      

(左)不思議な写真。再入場したときは見かけなかった・・・???
(右)この幽霊はこちらにガバッと向かってくる筈なのに、奥にへばりついたまま・・・閉館するから修理せず?


(左)不思議な写真その2。真っ暗な中、ワンフロア下に転がっていた。でも、そこに行き着くことはなかった。昔は行かれたのか?
(右)ただ静かに佇んでいる。実際は暗くてよくわからなかった・・・。


      

 左写真は、そこに何かいる気配は察したが、真っ暗で殆ど何も見えなかった(ぶら下がっている人をかき分けるように進む)。α700はそれほど高感度に強くなく、AFも利かなかったが、それでもこれだけ見えてしまうのだから、最近のデジカメの性能は凄い。右写真も、肉眼だとここまで見えない。


 新聞では全く取り上げられなかったが、同じく閉館する「ミラクルストーン」。迷路のように入り組んだところを歩き回る。子供たちに人気のアトラクションだ。


     

(左)この格子の迷路は行き止まりだと思い、不覚にも来た道を戻ってしまった・・・確か、これだけは自分が好きだったアトラクションにもあったと思う。
(右)不思議な絵やオブジェが出てきてびっくり! もしかしすると、「お化け屋敷」より面白かったりして!


     

(左)最後にボタンを押すと、小便小僧が水をかけてくれる。これで「ミラクルストーン」の旅はおしまい!
(右)屋上から見た「ミラクルストーン」。迷路状に入り組んでいるのがよくわかる。


 ちょうどそのとき、日本で一番古いローラーコースターが轟音を立てて通り過ぎていった。江戸時代の1853年に開業、紆余曲折の歴史を経て現在に至る最古のテーマパークでもある「花やしき」。懐かしのアトラクションにも乗りました。もう一日かけてレポートしますね!


国立晩秋

2009-12-08 11:10:00 | 日常&時間の旅

銀杏の落ち葉の隙間からヴィオラが顔を覗かせていました。


 映画でも美術展でも同じことが言えると思うのですが、「いつでも行ける」と思うと意外と動かなくなってしまうみたいで、気づいたときは「終わっていた!」なんてことがよく起こってしまいます。ルネ・ラリック展がそうでした。新国立→熱海のMOA美術館まで半年以上も見る機会があったのに、行かずに終わってしまいました。
 山手線のラッピング車両を見に行ったのも走行終了間際だったし、国立の銀杏並木や、我が家の小さなカエデといつの間にか種が芽を吹いた身の丈1mの銀杏の紅葉も写真を取り逃がしました。まあ、これらのものは毎日見てはいたのでまだ救いがあるけれど、身近にあるものほど姿を消して初めてその価値に気づくことが多く、それが人の宿命かもしれませんが、心しておきたいものです。


 毎日、目を楽しませてくれた大学通りの木々たち。「もう遅いよね」と思いつつ、最後の最後になってカメラを持ち出しました(12月04日)。


      

 桜の時期は、長くて一週間ということもあって、積極的にカメラを持って出かけるのに、秋の紅葉ときたら「まだ大丈夫」と思っている間にこのとおり・・・。


 秋は夕暮れ(といっても、まだ4時前だけど)。四季折々、楽しませてくれてありがとう!

 年末まで、火&木が夜勤とハードです。風邪引かずに乗り切りましょう~♪


送電線が消えた!

2009-11-24 09:00:00 | 日常&時間の旅


 昨日の夕方、国立駅に着く直前、電車の窓から坂の上の23号鉄塔に目を向けたら、いつもある筈の送電線がない! 23号で途切れてしまっていました。新しい鉄塔を建てると同時に送電線の入れ替えも行われていたのでしょう。何だか空が広くなった感じがしました。
 邪魔物がなくなってすっきりした、と言えなくもないのですが、五線譜がなくなってしまった楽譜みたいで、妙に不思議な景色に思えます。いつ戻ってくるのかな?
 上の写真は今朝、部屋の窓から見た23号鉄塔です。これから明日の夜まで長時間勤務(しかも半分の時間はボランティア・・・)につきますが、この曇り空のように、今日は珍しく体調が良くなくて、お腹は壊しているし、胸がむかむかする・・・まあ、のんびり行くことにしましょう(でも、こうして出かける直前にブログなんか書いているのだから、追って知るべしかな・・・)

そういえば数日前に、こんな作業をしていました!(やはり窓から撮影)


    

(左)これも、『マン・オン・ワイヤー』ですね。仕事でなければ一度体験してみたい?
(右)無事にたどり着きました。こうして線を巻き取っていたのですね。凄! でも、最後の一本はどうやって外したの?

 それでは・・・。


鉄塔国分寺線 ~23号鉄塔

2009-11-06 22:32:00 | 日常&時間の旅


 高いところは好きだけど、足がすくんでしまう(『めまい』のジェームズ・スチュワートみたいな高所恐怖症?)ニワトリさんには絶対できない芸当です。凄いなあ~!
 少し前から、近所の鉄塔国分寺線23号鉄塔(JR中央線からもよく見えます)で付け替え工事が行われています。今となってみれば、着工したときから現場写真を撮っておけばよかったと、ほぞを噛んでいますが、今まで全くわからなかった「古くなった鉄塔をどうやってメンテナンスするのだろう?」という謎が解明され、すっきりした?
 古くなったら、こうして建て替えるのです。敷地内にもう一本、鉄塔を建てられるだけのスペースを確保していたんですね。そうして新しい鉄塔を建て、切り替えが済んだら古い鉄塔を撤去して、その次に備えるというわけ。どれくらいのスパンで建て替えるのかは不明ですが、この繰り返しで送電線を保持していたのでした。
 言うは簡単ですが、実際行うとなると非常に大変です。マン・オン・ワイヤー』のフィリップみたいな人を大勢確保しないと工事に取りかかれません。送電を止めるわけず、その点でもかなり危険な工事になります。送電線の重さを考えただけで尻ごみしてしまうニワトリさんでした。
 写真を撮った翌日は、台風の影響で雨風共に強く、絶対に工事中止だと思っていたのですが、信じがたいことに作業してました。命知らずというか、頭が下がります。


    

(左)こうして鉄塔が並ぶと壮観です。新しい23号鉄塔は、既存の鉄塔よりもさらに背が高い!
(右)反対側から新旧鉄塔を撮影(6日の今日です)。雲ひとつない青空を背景に、新しい鉄塔は銀色に輝いていました。もう少し上まで伸びそうな感じです。23号鉄塔をぐるりと一周したら、映画『鉄塔武蔵野線』のその後が知りたくなりました。撮影時から10年以上の年月が過ぎており、鉄塔周辺の景色もかなり変わってしまったかもしれません。「ロケ地訪問」第2弾!は『鉄塔武蔵野線』に決定? 映画は、確か81号鉄塔から遡っていったと思いますが、アオガエル君と出かける前にDVDで確認しておきましょう~♪

 明日は久しぶりに始発電車で「わたらせ渓谷鐡道」を乗りにいきます。それでは・・・。 


「きれい・・・」を訪ねて ~中央大橋と相生橋

2009-11-02 23:59:29 | 日常&時間の旅


 鉄砲洲公園に戻り、バイクのエンジンをかけました。最後に(前回単に通り過ぎてしまった)中央大橋と、空気人形が純一の背中につかまって渡った相生橋(二人がビッグスクーターで向かった映画館は監督こだわりの「下高井戸シネマ」。映画の中の地図と実際は当然ながら異なる)を渡ってきました。
 もう少しここにいて、夜景を見てから帰宅してもよかったのですが、ネコが待っているだろうし、それに加えて雲ゆきが怪しくなってきたことから、雨が降り出す前に家に戻ることにしました。
 ところで、隅田川とパリを流れるセーヌ川が「友好河川」の提携を結んでいることをご存知でしょうか? 私は最近になって知ったのですが、バブルたけなわの平成元(1989)年にそういう話になって、後方にそびえ立つ佃の超高層マンション「リバーシティ21」と新川を結ぶ中央大橋の設計を、パリのデザイン会社に依頼しました。正面から見るとわかると思いますが、「兜」を意匠にしています(レインボーブリッジと同じ日の、平成5(1993)年8月26日に竣工)。コストを無視して造られたせいか、夜間はカクテル光でライトアップされるなど、中央大橋は隅田川に架かる最も美しい橋と呼ばれているそうです。


   

(左)中央大橋とアオガエル君。ニューフロンティアへの夢の架け橋になったのだろうか? リバーサイドに建てられた超高層マンションの中には賃貸料が月額150万円を超える部屋があり、今の六本木ヒルズに匹敵する「憧れ」だった。
(右)バブル崩壊の後遺症で遅れていた東京駅北口の再開発だが、ここにきて大きく変わろうとしている。久しぶりに訪れ、建設中の建物の多さに驚いた。ニワトリさんが通っていた京橋のこのビル(富岡製糸工場を造った企業の本社ビルで昭和を代表する建物)も近々壊される運びとなり、「映画美学校」以外は立ち退いた模様。早いもので、ロッカーの持ち物を整理してビルを出た日から丸二年になろうとしている(07年11月末日退職)。


 中央大橋もいいけれど、ニワトリさんはこちらの相生橋の方を好む。近くに高層ビルがなく、空が広いところも気に入っている。相生橋は隅田川の支流に架かっているため、水上バスの通り道になっていないが(隅田川本流は、河口から勝鬨橋→佃大橋→中央大橋→永代橋の順)、知る人ぞ知る名橋だ。


 古そうに見える相生橋だが、着工は昭和63(1988)年で、中央大橋とほぼ同時! 旧相生橋が老朽化したため架け替えられることになったのだが、もう一代前の相生橋と同じトラス橋にこだわるなど、中央大橋同様自由な発想と豊富な予算で推し進められた。平成11(1999)年8月完成。


    

 おまけに、湊公園近くにあった不思議な神社(屋根を突き破っている木はご神木?)と、うちのクルミさんとは少し違う模様のノラ。丸々太っていて、クルミさんの三倍はありそう?


(左)湊公園の隣にある箱庭同然の児童遊園。何とも可愛らしい。
(右)今一度、川塀からベンチを振り返る。無秩序に見えるけれど、調和のとれた風景だと思う。この日だけでも、かなりの人がこのベンチに腰かけた。何台ものタクシーが、写真のように車を路肩に寄せ、しばし休憩をとっていく。その上、自分のような映画ファンもやってくるので、公園内はけっこう賑やかだ。


「きれい・・・」を訪ねて ~空き家

2009-10-26 12:38:38 | 日常&時間の旅


 鉄砲洲公園にバイクを置き、湊公園のある隅田川の方に歩き出しました。道路を渡って斜め向かいの路地の入口に立ちました。このあたりは空襲被害を受けなかったと聞いています。コンクリート製の防火水槽とその隣のゴミ箱に目が止まりました。今から60年以上も前のものでしょうか? 中央の排水溝にも時代が感じられます。その頃生まれたわけではないのに、ひどく懐かしい気持ちになりました。


     

(左)空気人形の持ち主、秀雄とお隣さん(小学生の萌と父親の真治)が住んでいた家は、空き家になっていた。人が住んでいたら写真は撮れなかったので、その意味では良かった? かなり前から空き家だったのだろう。
(右)「心を持ってしまった」空気人形が窓を開けて「きれい・・・」と呟いた物干し台。雨上がりの朝の奇蹟だった。


 数え切れないほど映画を見てきたけれど、意識的にロケ地を訪ねたのはこれが初めてだった。ここに立っただけで、自分は映画の中に入ってしまい、自分も今生まれたかのように周囲を歩き回った。三度目の鑑賞で、ここが写ったとき、思わず声をあげそうになった・・・。

 冷たい雨が降っています。今、家の近所の「鉄塔国分寺線」23号鉄塔で建て替え工事が行われています。先日、二基並んだ鉄塔の写真を撮ったのですが、立上げのときから撮っておけばよかったと、少し後悔しました。こんな雨の日は当然工事中止だと思ったのですが、今日も高いところに人が張り付いていました。雨の中、大変ご苦労様です。工事の人も、今お仕事中の方も、お休みの方も、風邪を引かないでくださいね。それでは、ぼちぼち出かける支度をしましょうか・・・。


三度目の正直? ~ペ・ドゥナに逢いに・・・ 

2009-10-24 23:57:57 | 日常&時間の旅



 今日はお休みだったのですが、家で(くるみさんと一緒に)仕事?をしていました。
 まあ、どちらかというとくるみさんは、仕事の邪魔をしていたのですが・・・でも、まあいいっか。
 せっかくの休日がそれだけじゃ癪なので、午前中に立川までひと走りし、三度目の『空気人形』
を見てきました。
 さすがに「三度目の正直」と言われるだけあって、映画の中の風景(銀町という架空の町です)と
実際の風景との位置関係がはっきりしてきました。
 まだわからないのが、ビデオショップと交番の位置(湊ではないのかも?)に、鉄道高架のすぐ
近くにある公園(この付近には鉄道が走っていないので、どこでロケしたのかな?)。
東京タワーが見えるジュンイチの部屋もよくわかりません・・・。
 写真は相生橋のトラスとNinja250Rです。6月に撮影しました。
 映画でも相生橋のトラスがとても印象的でしたが、バイクと並べてみるとその大きさがわかる
と思います。相生橋をビッグスクーターで渡るシーンは好きな場面の一つです。
6月に訪ねていたせいか、初めて見たとき、すぐここだとわかりました。

 


 一方、先日、南高橋の記事を書いたときは全然気づかなかったのですが、実はこの橋、劇中2回も登場
していました。それから、空気人形とお隣さんが住んでいたアパートも、三度目の視聴で判明しました。
(先週ロケ地を訪ねた際に、「ここではないか」と推測した建物でした!)
 映画に出てきた小学校は公園の隣にある旧鉄砲洲小学校ではなく、旧京華小学校ではないかと思います。

 夜は、『ウェルかめ』にも出演している坂井真紀さん主演の『のんこ36才(家事手伝い)』を見ました。
なかなかの映画でしたよ~♪


「きれい・・・」を訪ねて ~旧鉄砲洲小学校

2009-10-23 23:49:00 | 日常&時間の旅


 鉄砲洲公園に寄り添うように美しい建物が建っていました。中央小学校&幼稚園です。
(後から調べたのですが)平成5(1993)年に、湊1丁目の鉄砲洲小学校と、そこから数百メートル離れた八丁堀3丁目の京華小学校が、現在の中央小学校に統廃合されました。新生中央小学校の新校舎には鉄砲洲小学校が選ばれましたが、その理由は、京華小学校が交通量の激しい幹線道路に面していたからだと思います。奥に入った鉄砲洲小学校は驚くほど閑静で、時代から取り残された感じが個人的nには好ましかったのですが、「再開発」という名の破壊の波が、少しずつではあるけれど、この懐かしい風景を洗い流している現実も目の当たりにしました。とくに東京駅北口がすごい・・・。
 鉄砲洲小学校の改修工事が行われている間、京華小学校を仮校舎として使用していたので、中央小学校の卒業生の中には、「昭和モダン」と称えられた二つの小学校を学び舎にするという、幸運な人々もいる筈ですね。羨ましい~! 
 旧鉄砲洲小学校と旧京華小学校は、関東大震災の復興事業の一環として計画され、昭和4(1929)年に完成しました。中央区にはこれら復興小学校が多数あり、京橋小学校のように取り壊されて高層ビルになったものもありますが、現役で頑張っている学校も思った以上にあることがわかりました。廃校になった旧京華小学校も取り壊しを免れており、平成13(2001)年、既存建物を再利用した「京華スクエア」として生まれ変わりました。



 こちらが旧京華小学校です。この写真は「京華スクエア」のHPから借りてきたものですが、実は何度も何度もこの前を通りながら、一度も中に入ったことがありませんでした。それどころか、建て壊された京橋小学校の前を(まさに統廃合に揺れていた頃です)通って通勤していましたし(新富町に会社があった)、中央区に現存しているいる復興小学校(現中央小学校、明正学校、泰明小学校、城東小学校)も、大正モダンの明石小学校も、よく前を通りかかったし、港区新橋にあった旧桜田小学校(改修されて桜田公園&港区生涯学習センターに生まれ変わる)に至っては、知っているどころかよく遊んだ場所で、それというのも親戚が新橋に住んでいたからなのですが、長年このあたりを歩いていながら、消滅してゆく景色に注意を払ってこなかったし、残った景色にも関心を寄せてきませんでした。『空気人形』からは少し外れてしまいますが、これらの小学校を今一度訪ねる必要があると、強く感じました。
(その姿を残すために、やはりリコーGRデジタルⅢが欲しい! よ~く考えると、フィィルムカメラの名機=リコーGRを持っているんだから、りバーサルフィルムを買ってくればいいだけの話?・・・)


    

 鉄砲洲公園の緑が窓ガラスへ写りこんでいました。そんなところも好ましい旧鉄砲洲小学校の玄関と、その脇にあった不思議な兎の彫像。何匹いるでしょうか?
 映画『空気人形』で、小学生の女の子が通っていた小学校はここだと思うのですが、学校が写っていたかどうかは、早くも忘却の彼方に・・・。


 鉄砲洲公園から斜め向かいに目をやると・・・第二次大戦中、奇跡的に空襲を免れてきた湊地区も、バブル期には絶好のターゲットとなり、その結果このようにいくつもの更地ができた。錆ついた立体パーキングはわずかでも利益を出すべく作られたのだろうか? だが、これら破壊の後にできた鉄骨や空間も、『空気人形』の瞳には「きれい・・・」と認識されたような気がする。


「きれい・・・」を見にゆく ~南高橋と鉄砲洲公園

2009-10-21 21:21:49 | 日常&時間の旅


 空気人形が「きれい・・・」と呟いた土地を歩きたくて、中央区湊1~2丁目を訪ねてみました。およその見当はついていたので、馬場先門から永代通りを永代橋に向かって東に進み、八丁堀で新大橋通りを横切り、運河(亀島川)に差しかかったところで右折して鉄砲洲通りに入りました。そのまま道なりに進んで、確か佃大橋の高架をくぐろうかというあたりが湊だったと、記憶していたのです。
(さらに道なりに進むと聖路加タワーを経て勝鬨橋の手前に出る)
 右折したところで目に入ってきたのが、映画の中でも何度も登場する墨田川沿いの高層マンション群と、運河に架かる(写真の)美しいトラス橋でした。「何て美しい形なんだろう」と思ったニワトリさんは、ここで早くも足を止めて、橋をじっくり眺めることにしました。橋の名は・・・?


 橋の名前は「南高橋」。家に帰ってから調べたところ、右折した交差点に架かっていたコンクリート橋「高橋(たかばし)」の南にあるので、単純に「南高橋」になったとのことですが、橋そのものは都内に残る鋼鉄トラス橋の中で二番目に古く、車が走行できる最古の鋼鉄トラス橋だと知って、「さもありなんと」深くうなずくニワトリさんでした。
 南高橋は関東大震災の復興事業で新たに架けられた橋ですが、予算が乏しくなってきた東京市は、震災被害で架け替えられることになった旧「両国橋」(明治38年に架橋された三連鋼鉄トラス橋)のうち、損傷の少なかった中央部分を移設して「南高橋」とすることにしました。お古をあてがえられる形になっでしまった「南高橋」だけど、空襲などの被害を受けることなく今日に至り、無事これ名馬というか、明治時代の橋として有形文化財に指定されることになりました。世の中、何が幸いするかわからないものですね。
 トラス越しに眺める景色も素敵でした。右写真の反対側(下流側)には、亀島川水門が控えていて、水門の下流で隅田川に合流します。今度訪ねたときは明治時代の両国橋として眺めるつもりです。


 橋を後にして、鉄砲洲通りを進んでいったのですが、橋から100m足らずの「鉄砲洲公園」脇にバイクを駐輪しました。この公園、どこかで見たような覚えがあります(現実ではもちろん良く知っていて、一度ここで弁当を食べたことがある)。もしかして、空気人形が泥団子を作っていた公園? 砂場が見当たらなかったのですが、確かにここが例の公園だったようです。右端に彼女も写っていますね? あいにくの曇天でしたが、それもまた良し、といったところかな。さあ、歩くぞ~♪