今朝の東京新聞(2面)を読んで、暗澹たる想いに駆られた。中部電力が現在停止している浜岡原発の3号機を夏の電力不足を理由に稼動させるというのだ。今も福島でニンゲンが制御できない「ゴシラ」が暴れていて、戦時中の特攻隊のように「必死」の覚悟で被爆しながら働く人々がいる。身と心を引き裂かれるように住み慣れた家と土地から強制的に(立ち入り禁止区域に入ると罰金を払わされるのだ)避難させられた人々がいる。こうなるだろう(止めるどころか見直す気もさらさらない)と予想はしていたが、目を疑った。以下、記事を書き出すと・・・
中部電力は、定期検査中の浜岡原発3号機(静岡県御前崎市)を、電力需要が高まる七月までの再開を前提とする本年度の業績見通しを決めた。二十八日に公表する。東京電力福島第一原発の事故後、東海地震の想定震源域に立地する浜岡原発の地震や津波対策を不安視する声は地元を中心に高まっており、再開には反発は必至だ。
電力需要は例年、七月下旬から八月中旬にピークを迎える。3号機を再開せず、代替として火力発電でまかなった場合、経費は一カ月で六十億円増加するという。年換算では五百億円前後となり、中電の二〇一〇年度の黒字予想に匹敵する。
東日本大震災後、中電は原子力安全・保安院の指示で、高さ十二メートル以上の防波壁の設置や、非常用発電機を二階屋上にも設置するなど総額三百億円の緊急対策をまとめた。保安院は二十一、二十二日に立ち入り検査を実施、今月中にその妥当性を評価する見通し。
本紙の取材に、中電幹部は「緊急対策はあくまで『安心』のためで、現状も『安全』は確保されている。丁寧に地元に説明し、夏場までには稼働させてもらいたい」と話した。ただ別の幹部は「運転再開時期を盛り込むのは、投資家に収支見通しを示す必要があるため。実際に稼働できるめどは付いていない」とも説明。世論動向もあり、実際に七月に再開できるかは不透明だ。
保安院の審査に通れば、3号機の再開に向けた法的な手続きは整う。一カ月の調整運転を経て、営業運転に移ることになる。ただ、御前崎市周辺の自治体に原発への不安感は強い。川勝平太静岡県知事は二十五日の会見で、津波の危険性などを強調し「対策が万全とは、素人考えでも難しい」と話し、現状では再開は受け入れがたいとの姿勢を示している。
3号機は昨年十一月に定期検査を始め、順調なら、今年三月下旬から四月上旬に原子炉を再起動する予定だった。現在、福島第一原発事故の深刻化を受け、安全性の再点検のため、再開を見合わせている。
ニワトリさんは「活動家」ではない。質問されたときは「原発はいらない」と答えてきたが、そのためのアクションを起こしたことは一度もなく、むしろ極めてシニカルに考えていた。
「毎年交通事故で一万人近い犠牲者が出ても(しかもそれは本人が24時間以内に死亡した場合に限り、残された遺族の悲しみ&苦しみも数字に入っていない)、誰も車に乗るのを控えるべきだと言わないどころか、新車の売れ行きが悪いと景気が悪いと眉をしかめ、歩行者への安全対策は全くされていないに等しい(実際の話、物凄い運動エネルギーを持った物体と衝突するのだからいかんともし難いが)のが実情だ。毎年3万人を超える自殺者が出ていても、結局は容認しているではないか。原発も同じ話で、誰もが「見ざる言わざる聞かざる」を決めこんできた。水力発電(ダム)はこれ以上増やしてほしくないし、火力発電は大気汚染が問題だ。風力発電は設置場所によって低周波の問題や鳥の衝突といった問題が生じる。つまるところ、代替エネルギーを確保するまで原子力エネルギーを認めざるを得ないのでは?」
だが、この認識が決定的に間違っていたことが徐々にわかってきた。まず、使用済核燃料が安全に冷却されるまで十年単位の時間を必要としていること。使用済核燃料とは極めて危険な死の灰のことで、それらが大量に施設内にプールされており、既に飽和状態にあるのに最終処理場(=保管場所)すら決まっていないこと。そんなことも知らなかったのだが、これだけでも原発をやめる理由として充分だ。
そして、ひとたび放射能が漏れ出したら止める方法がないこと(全くその通りの状況になっている)や、その影響は何世代にも引き継がれること。頭では理解していても未だに実感できない。でも、愕然とする。我々はいざとなったら制御不能なゴジラを54匹も飼っているのだ。
さらに、原発の維持管理に携わる人々が日常的に被爆していて(人が一生の間に自然界から被爆する放射線量は16ミリシーベルト。この緊急事態に、作業員の許容被爆量は瞬間250ミリシーベルト、年間50ミリシーベルトまで引き上げられた)、作業員が五年後に癌で死亡しても原発との因果関係を認められないことを知れば、もはや犯罪ではないかとまで思う。
極めつけは、原発を廃止すると一時的な電力不足は生じるかもしれないが長期的には電力不足は生じないことと、世界的には太陽光・風力などの発電量が原子力の発電量を上回ったこと。つい先ほどまで言われていた「原子力ルネッサンス」なる言葉が、第二次大戦前の妄想&虚言と重なる。あのとき日本は、広島&長崎に原子爆弾を落とされて戦争継続を断念したが、東海村&福島の事故の後でも原子力政策を続けるのか? 高速増殖炉?プルサーマル?日本だけがなぜ?
耳にタコができるほど聞いた「直ちに健康に影響はない」という言葉を裏返せば、「やがて影響が生じる」ということだ。長年被爆治療に携わってきた肥田舜太郎医師(現在94才になられた)は、放射線の影響が出るのは早くても一年後で一生続くことが問題だとして、被災地で最近見受けられるようになった「下痢」の症状に注目している。広島&長崎でも直接被爆していない人々が体のだるさを訴えたり、下痢の症状を起こしたからだ。
テレビに出てくる原子力専門家は、国内海外問わずその大半が原子力エネルギーを肯定してきた人々で、その恩恵を受けてきた。公共広告機構(AC)のメインスポンサーは「東京電力」だった。「反原発」を表明した芸能人は「被災地支援」のCMに出演しない。依頼が来ないからだ。「反原発」の立場をとる学者や研究者、運動家がテレビに登場するのは被害が「風評」ではなくなってからだろう。
水俣病が認定されるまでどれくらいの年月がかかったか? 事故は必ず隠蔽される。東京電力に限った話ではない。不都合なことは隠せなくなるまで公にしないのは保身のためだ。小さなことなら誰でも身に覚えがあるだろう。
意図的に隠す意思がなくても、「口にしたことは現実化する」という日本人特有の言霊信仰に従って、好ましくない未来の話はいっさいできない。もしもそんなことを言ってしまったら、「お前はそうなるのを望んでいるのか」とか「お前がそう言ったからこうなったのだ」と言われてしまうからだ。危機管理とは「最悪の事態」を想定してそうならないよう努めることだが、「最悪の事態」を想定できないのだから、誰が首相であろうと機能し得ない(といって、無能な人が居座っていい理由にはならないが)。
もっとも厳しい現実は、低放射線物質を体内に取りこむ内部被爆と、その後に罹った疾病との間に因果関係があるとは考えられていないことだろう。全世界の病院や核施設に基準値を提供しているICRP(国際放射線防護委員会)は、内部被爆を無視している。被爆から五十年後に癌で死亡しても、被爆のせいで癌になったと立証できないからだ。WHO(世界保健機関)は、イラクやアフガニスタンなどの子供たち、出征兵士、出稼ぎ労働者らに生じている放射線の影響によるものと思われる疾病と劣化ウラン弾との因果関係を認めていない。WHOが認めていないのだからそれが正しい? お人好しもほどほどにした方がいい。
今回の稼動に関して中部電力は「安全は確保されている」と言っている。子飼い同然の原子力保安院の審査は通るに決まっている。後は、我々が「電力不足」を理由にそれを認めるかである。