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辞めない首相(でもいいか・・・)

2011-06-03 23:55:00 | 独り言&拾いもの

 今も深刻な放射能汚染を引き起こしている福島第一原子力発電所。明日が全く見えない被災地と、今日の生活にも事欠く被災者。彼らをそっちのけに醜い醜い権力闘争を続ける人々にはとことん愛想が尽きた。それでも一昨日、内閣不信任案を否決した段階で、今後は良い方向に向かうのかと思った。だが・・・。

 リーダーシップを発揮できず官僚の操り人形のように増税路線を行く管首相には、できる限り早く退陣してほしいと思いながらも、具体的な展望を何一つ示していないのにただ引き摺りおろそうという野党自民党の姿勢(得意げに「王手飛車取り」と言う人もいたが、原子力政策を推進してきた張本人は自民党ではないか。今回の事故の責任の大半はあなた方にある)には全く賛成できないし、これを好機と捉えて復権を試みる小沢元代表には生理的嫌悪感すら覚えるようになった。スーちゃんや児玉清&長門裕之さんが天に召されて、なぜこのような古いタイプの政治家が生き長らえているのだろう?

 一夜明けると、今度は管首相の二枚舌にあきれ果てた。往生際の悪さ、みっともなさ、「ニンゲンとしてサイテー」だと思った。でも、管首相にすれば、「韓信の股くぐり」に過ぎなかったのだろう。思った以上にあっさり身をひいた三人の元首相や鳩山前首相(自民3民主1。全員お坊ちゃま)と比べると、実にしぶとい。
 煮え湯を飲まされ(また恥をかかされちゃった!)怒り心頭の宇宙人=鳩山氏だが、同情よりも哄笑を買っている。反小沢陣営からは「目の上のたんこぶを切る絶好のチャンスだったのに、またしても余計なことをしてくれた」との声もあるそうだし、一方の小沢派からは「梯子を外された。なぜあの人(鳩山)はいつも最後にこうなるんだ?」と呆れられている。

 言った言わないの居直りに市民政治家としての評判は地に堕ちた感もするが、一国会に一度だけしか提出できない内閣不信任案を否決してしまえばこっちのものだ、という考えがあったのだろう。その上で、年末まで国会の会期延長を宣言したのだから、「ペテン師」と罵られようが制度的には年内中に辞めさせることはできなくなった。「冷温停止」が条件ならば、さらに先の話になる。となれば、四面楚歌の状況をよくも乗り切った、と言えないこともない。かくなる上は、この「能力」を遺憾なく発揮して震災&原発対策に「一定のメド」をつけてください。

 ニワトリさんが、とことんあきれ果てながらも「管降ろし」を胡散臭く思っているのは、やはり原発問題だ。自民党はもとより、民主党にも原発推進派が少なからずいる。黄門様と呼ばれている渡部氏は、自民党時代に地元福島に原発を誘致してきた人物だ。小沢氏は週刊誌が報じたように東京電力と深い関係にある。電力総連は民主党を支持する「連合」の有力団体で、国会議員も輩出している。経団連の米倉会長は、首相の「浜岡原発停止要請」「自然エネルギー拡大声明」「発送電分離政策」について、ことごとく難くせをつけた。

 確かに、まずい対応もあった。だが、それは「情報隠し」ばかりしている東京電力や、原子力安全委員会の斑目委員長が足を引っ張っているなど、致し方ない面も見受けられる(さっさと辞めさせるべきなのは彼だ)。ダメだダメだと合唱するだけで、国民不在の大騒動の理由が明確にされていない。考えれば考えるほど、東京新聞「こちら特報部」の示す「首相は原子力政策の禁忌に触れて四面楚歌になった」が当たっているような気がしてくる。ここは冷静に推移を見守りたい。

 いや、もうこんな時間(1時近く!)・・・お弁当も作りました。土曜日は4時起きして、アオガエル君に乗って「ひたちなか海浜鉄道」を訪ねてきます。


もう嗤うしかない?

2011-05-28 09:00:00 | 独り言&拾いもの


 ことの深刻さに相反するあまりにもレベルの低い「言った言わない」について、ひとこと言おうと思っている間に一週間が過ぎてしまい、東京電力の「海水注入中断はなかった」という夢オチ以上に陳腐な「どんでん返し」会見で幕が降りたのだが、怒りを通り越して笑ってしまった。会見を伝えた直後に「私の頭の中は、はてなマークだらけ」と痴呆の表情を浮かべている斑目さんの映像が流れ、「いい気味だ」と思った分だけ怒りのボルテージがさらに低下した・・・やれやれ、こんなメチャクチャがいつまで続くのだろう? 

 もうこれ以上「お化け」が出ないことを前提に話を整理すると、3月12日の夜19時04分、東京電力は1号機の原子炉に海水を注入。2分後の19時06分、保安院にその旨連絡。19時25分、官邸にいる元役員から本店に「管首相から海水注入の了解が得られていない」との連絡が入り、清水東電社長や吉田福島第一所長らはテレビ会議を開いて対応を検討、官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定。この際、吉田所長から「注水を続けるべきだ」との意見は出なかったが(筆者注:本当だろうか?)、所長の独断で注水を続けた・・・のがどうやら真相らしい。
 官邸からの要請を所長の独断で無視したならば(判断は正しくても)処分は免れないところだが、官邸側がすったもんだの果てに「注入中断を命じた覚えはない」という答弁に戻り、斑目原子力安全委員長の助言も「再臨界の危険性がある」ではなくて「再臨界の可能性はゼロではない」という曖昧模糊な言葉だったため中止の判断は下されず、「誰が55分間の海水注入中断を命じたのか」責任の所在を巡って紛糾していた国会は「無駄な時間を費やしただけ」という語るも無残な結末を迎え、(結果的に)誰一人として責任を問われることなく問題自体が消滅した。「結果オーライ」で済ませたいのだろうが、それ以前もそれ以後も「情報隠し」は発覚し、事態はいよいよ深刻だ。

 事故から二ヶ月以上が経過して「1号機がメルトダウンしていた」ことが公表された。2&3号機についてはまだ認めていない。実にふざけた話だが、東電や政府関係者はもちろん、マスコミに登場した御用学者や取材にあたったマスコミ各社が口をそろえて、「事故発生から三日後には(メルトダウンを)確信していた」と白々しく言うのには、開いた口が塞がらなかった。彼らは十年後にも、「こうなることはわかっていた」と、同じ台詞を口にするだろう。
 大東亜戦争(あえてそう呼ぶ)を幼少時代に経験した父は、ことあるごとに「あのときと全く同じだ」と言っている。「日本はひとつ」「みんな一緒」「ひとりじゃない」といった言い回しをさんざん聞かされたらしい。その結果が惨めな終戦だったのだから、こうした言葉に拒否反応を示してしまうのも当然だろう。
 自分もまた、めまいがしそうな怒りを覚えるたびに、『仁』の南方先生じゃないけれど、65年前にタイムスリップしているのではないかと錯覚することがある。自分の場合は過去の悲惨な記憶がないせいか父ほどの嫌悪感はなく、これらの言い回しに同調することはないけれど、当時の人々に対してある種の共感を覚えるようになった。悲惨さの質が違うが、こうした事態に至って初めて彼らの日常や気持ちが理解できるようななった、と思うほどだ。
 「真実」を告げなかった理由は、ただ一つ「パニックを防ぐため」だという。もっともらしい言い訳だが、ならば「本当に深刻な事態が進行中のときは決して真実を伝えられない」ということになる。上に立つ者は「小を犠牲にして大を救う」決断を迫られることがあるのかもしれないが、マスコミもそれでいいのだろうか? 報道のあり方や自分たちの使命を今一度考えてもらいたい。

 真実を伏せていてもパニックは起こる。実際の話、品不足が起きた。これもパニックの一種だろう。情報が多すぎても混乱するし、情報が全く入らなければ不安を覚える。報道を信用できないからパニックが起こる、とも言える。「真実は伏せられる」ことを皆がうすうす感じているわけで、パニック回避のために報道管制は今後いっそう強化されるだろう。いたちごっこの繰り返しだ。
 事故が起きた直後に発売された『AERA』誌の表紙(物々しい放射能防護マスクの写真)に抗議した野田秀樹さんも、パニックを起こした一人ではないかと思う。あのとき、関係者は「外部に放射能はもれていない」と言っていたのだが、まさかそれを鵜呑みにしていたわけではないだろう。彼は「危機にある時、その危機を煽っても、その危険はなくならない。危険を出来るだけ正確な情報でそのまま伝えること、これがまっとうなマスメディアのやることだ」と『AERA』を非難したが、彼のように頭の良い人なら「本当に深刻な事態が起きているとき(パニックを防ぐために)マスコミは真実を伝えられない」ことに気づかない筈がない。感性が鋭い人だから、(本人も「直感的に覚えた」と書いている)恐怖が敵を間違える形の「抗議」になってしまったのではないか?
 報道規制の一番分かりやすい例が誘拐報道だが、今回の事故はそれとは明らかにそれとは異なる。

 情報隠しから右往左往したといえば、他に「放射性物質予測システム(SPEEDI)」に関する記事の推移が挙げられる。このシステムは155億円を投じて整備されたらしいが(そんなものがあることを全く知らなかった)、最初に報じられたのは、このシステムが震災直後は被災したり停電により稼動できず、スピーディーどころか全く役に立っていなかったことだった。ソフトに欠陥があったことも指摘され、こんな役立たずの機械に巨額の費用を投じていたことが強調されていたのだが、最近になって、実は初期の段階から稼動していたけれど予測データを公開していなかったことが判明した。さらに、首相が事故直後に福島第一原子力発電所を視察した際に「SPEEDI」のデータを参照していたことが報じられた。
 被災地の人々にはパニックを恐れて数値を公表せず、自分のためにはデータを取り寄せて安全を確かめた首相の胸の内については「嗤う」にとどめるが(利用したのは彼だけではないと思う)、被災地の人に一番重要な情報を公開しなかった罪は非常に深い。

 文章が長くなってしまったが、首相のアドバイザーを務めている斑目(出鱈目)さんにもひと言申し上げたい。斑目さんは、小心な性格ゆえ責任逃れに終始するが自己顕示欲と名誉欲だけは人一倍あるという、個人的には友達になりたくないだけの人物に過ぎないのだが、その彼が最も不適切なポジション(原子力の安全に関する専門家として官邸に助言を与える職務)に今現在もとどまり続けていることは「百害あって一利なし」で、この国の最大不幸と言ってもよい。誰が彼を起用したのか任命責任も明らかにしなければならないけれど、一秒でも早く辞めてもらうのが先決だ。
 斑目さん、今は「私は何だったのか?」考える時間などありません。退場してから、気が済むまで自問自答してください。今なら拍手で見送ってあげるよ。

 台風が迫っています。明日は山中湖ロードレース・・・個人的には、大雨の中を走る必要はないと思います。参加者に寄り添いながら、事故が起こらないよう慎重かつ冷静な判断を心がけます。一泊旅行に出かけるぐらいの気持ちの方がいいかもね!


一週間経って、16+2基になりました・・・

2011-05-20 09:38:10 | 独り言&拾いもの

 今週はちょっぴりハードだったので、ブログには手をつけず、睡眠に徹しました。その甲斐あって、日曜日は「喉が痛くて体もだるかった」のですが、夜勤を二回乗り越え、体調も絶好調に戻りました。今晩(金曜日)の社内研修が終われば休みだ~~♪

 振り返ればあっという間の一週間でしたが、疑問に思ったこと怒りを感じたこと呆れたこと情けなくなったことが多々ありました。その中でも、原発事故に伴う牛などの動物の殺処分については到底受け入れることができません。放射能でもがき苦しんでいるなら安楽死という方法もあるでしょうが、今のところはそうした症状は出ていません。ニンゲンがいなくなった場所で自由に生きているのだからそのままにしておけばいいし、ニンゲンのせいでこうなったのだから被爆動物も手厚く保護すべきでは? 「彼らの生を勝手な都合で決めるな!」と、どこでもいいから怒鳴り込みたい! どうしても殺りたいなら、他人に命じず自分の手で殺れ!
 「人類は万物の霊長である」という高慢な考え方が嫌いです。虫の音を右脳で聴くか左脳で聴くかはどうでもいいような気がしますが、キリスト教を信仰する西洋人が音楽を聴くように虫の音を聴かない、というのはわかるような気がします。音楽とは神が奏でるものであり、神に選ばれた特別な人だけが霊感を感じて天上の音楽をこの世に送り届けることができる、という思想(宗教音楽から発展してきた)によれば、万物の霊長ではないコオロギやセミが音楽を奏でることなどありえないからです。
 それとは逆に、我々はごく当たり前に虫の音を音楽を聴くように聴いています。仏教思想を教えてもらわなくても、「草も木も虫も魚も等しく生きている」と言われて違和感を感じないのは、つい最近までそれがごく普通の考え方だったからです。今でも、多くの人が「森羅万象に神が宿る」と考えているのではないでしょうか? だから、物質主義から脱却すると同時にニンゲン中心の考え方もやめられるはず!
 殺処分には「飼育している農家の許可が必要」とのことですが、殺処分を受託しないと補償金も出ない仕組みだろうから(死んでいない家畜に補償金を出しようがないという屁理屈)、事実上の強制です。殺される動物もたまりませんが、住み慣れた土地から強制的に退去させられ、飼っていた動物を皆殺しにされる人々の怒りや悲しみをいったいどこへぶつけたらいいのだろう・・・。不誠実極まりない電力会社の本社前では、二ヶ月前から機動隊の装甲バスが横付けして厳重な警備をしているとのことですが、万が一ぐらいの可能性で起こるかもしれない暴力行為を防ぐために機動隊員を常駐させるよりも、彼らを被災地の支援に向かわせた方が遥かに有効で、(目には見えないけれど)前向きな姿勢ではありませんか? 

 事故以来、気になる記事をスクラップしています。4月26日の時点で、A4のスクラップブックが一冊埋ってしまいました。スクラップブックが何冊たまれば事態が収束するのでしょう? 1号機も2号機も3号機も底抜けの状態で、まやかしとしか思えない工程表の訂正すら正直にできない東電と政府。首相にアドバイスしている斑目さんのあだ名は「出鱈目さん」です。浜岡を止めたのは賢明な措置でしたが、それと引き換えに「他の発電所は安全。原子力政策は堅持する」などと平然と言われてごらんよ、「やっぱりごまかしだったのだ」と怒り心頭、かくなる上は『太陽を盗んだ男』の沢田研二になるしかない?
 先日も、「夏の高校野球の決勝戦が節電のため午前9時からになったこと」が大々的に報道されていましたが、個人的には「(以前から「なぜ一番暑い時間帯にやるのだ?」と指摘されていたように)選手の健康面を考慮して試合開始時刻が比較的涼しい時間帯に変更された」と解釈しています。国を挙げての電力不足キャンペーンにはかなりうんざりしてきました。

 やせ我慢と言われても「夏は暑いのが当たり前だ」で通してきました。一駅二駅は普通に歩いてしまいます。社会全体が「低エネルギー社会」へ移行していくことは大いに結構だし、「原発がなくなれば生活が70年代に戻る」という脅し文句も、『冒険手帳』をむさぼり読んだ「イエスタデイ・ワンスモア」な元少年には全く機能しないどころか、願ったり叶ったりなのです! 
 ニワトリさんは、かなり前から冷房は29度、暖房は18度に設定しています。オーディオ&ビジュアル機器は待機状態でも熱を発するので、(良い音のために常に通電しておくのがマニアの常識ですが)使わないときはコンセントを抜いています。最近は鳴らしていないので、スピーカーの反応も悪くなりました・・・。
 だから、これ以上の節電は難しいとは思うけれど、太陽光発電などを取り入れれば、相対的にさらなる節電が可能になります。電力会社を選べない現状では、早急に自家発電できる設備を整え、少しでも電力会社の電気を使わないようにできたら、多少なりとも罪滅ぼしができるでしょう。「電力不足に陥らないために節電するのではない」ことを公言して「節電」に努めます。もう、元に戻るつもりはありません。

 話は変わって、美浜原子力発電所の1基が定期点検に入り、燃料漏れを起こした敦賀原子力発電所の1基も停止したため、営業運転をしている原子炉は現在16基まで減じましたが、定期検査中の泊3号機と大飯1号機の2基が営業前の調整運転中で、すなわちフル稼動しているため(原発は常に出力100%で運転する。低出力運転により原子炉内が不安定になって爆発事故を起こしたのがチェルノブイリ)、運転中の原子炉は全部で18基ということになります。
 少し前に記事を書いたときは「調整運転」の意味がよくわからなかったのですが、定期検査の最終段階に「調整運転」を行って機器や設備に異常がないかを検査し、合格した上で原子力安全・保安院から営業運転が許可されることを先日知りました。
 この2基は、通常1ヶ月程度で営業運転に移行する調整運転を(許可が下りないために)丸2ヶ月以上続けています。問題がないなら早く許可すべき話ですが、今回の事故を受けて安全対策の見直しが求められているのですから、「営業運転はしばらく先になるだろう」と言いながら「調整運転」を続けているのは、「営業運転を開始したら13ヶ月を超えないうちに原子炉を止め次の定期検査を受けなければならない」と法律で定められていることを考えても、実におかしな話です。そもそも、調整運転の期間が法律で定められておらず、検査完了前に発電した電気を販売することの妥当性も今まで問われなかったのだから何ともお粗末な話で、安全神話が完全に崩壊したのも当然でしょう。安全対策上ありえないとは思うけれど、無制限に調整運転をさせることも可能なわけで、「ザル法がここにもあったのか!」と呆れる次第・・・。
 
 異例の調整運転については、(原子力ムラの)関係者ですら「一度しっかり停めて、新たな基準を満たしたことを確認してから再稼動すべきだ」と発言しています。これだけの事故が起きたにもかかわらず、ニワトリさんもまた、原子力発電所の即時停止は現実的ではないと考えていました。でも、13ヵ月後には残る16基の原子炉全てが定期検査に入るので、再稼動が認められない状況では普通に「原発ドミノ」が完成してしまいます。
 政府としては、ほとぼりが冷めた段階で再稼動を認める方針だったのでしょうが、事故が一向に収束しない現状ではそうもいかなくなりました。「調整運転」を異例に続けることは、代替えエネルギーを確保するまでのつなぎ策としていかにも日本的なやり方だと思うけれど、事故が起きたときの深刻さを考えればすべきではないでしょう。推進派の人々も、なし崩し的に存続させるような姑息なことをせずに、原発の必要性を改めて国民に説いて、正面突破を図ってください。手ぐすねひいて待ってます。

 時間です、行ってきます~♪


唐突ですが、たまっていくものを、どう処理したらいいのだろう?

2011-05-13 23:59:15 | 独り言&拾いもの

 日記代わりに書き始めたつもりでしたが、時間切れのまま澱のようにたまっていく一方の日々・・・夏休みの絵日記だったら、最後の追いこみで帳尻を合わせられるのですが、四年前の写真とメモ書きが手つかずのまま残っていたりします。

 例えば、都営荒川線。GWと路面電車の日に、一日乗車券を使ってたっぷり遊んできました。それから、梅雨の中休みの日曜日に乗ったJR鶴見線。写真を見なくても、その日の天候とか空気の肌触りなどをよく覚えています。
 都営荒川線だと、鬼子母神の境内にある駄菓子屋さんや、王子駅あたりで本当の路面電車になった瞬間に湧き上がってきた高揚感に、「都電最中」を買うために降りた駅のこととか、線路脇に咲いていた色とりどりの薔薇や、終点(三ノ輪橋)の商店街で買い食いしたコロッケとパンの味と、休憩するために入った喫茶店のコーヒーの香りをはっきりと思い出せるし、JR鶴見線のときだと、昼間はダイヤが組まれていないので全駅訪ねるために駅から駅へ歩く羽目になったこととか、工場地帯の決しておいしいとはいえない空気の匂いと肌にべとつく汗(汗の質まで変わる気がした)の感じとか、東京湾の運河の上にある海芝浦駅の気持ちの良さや、電車を一時間待つ間に遊んだ黒猫のこと(二年後にJR鶴見線が取り上げられていたとき、このネコは健在だった)など細部に至るまで、そのときの場面が浮かんできます。
 ときどき、「カメラもメモ帳も持たない方が一日を楽しく過ごせるのでは?」と思います。そのとき感じたことをいつでも反芻できるのだから、わざわざ日記に書く必要もなかったりして・・・(それに費やす時間を睡眠に充てた方が有益かも?)。

 でも、「あの時こう感じた」というのは、時が経つにつれて薄れていったり、あるいは全く別の感情に変わっていることもあるので、(あとで恥ずかしい思いをすることになることが多々あるけれど)そのつど書き残しておいた方がいいのかな?とも思います。ハードディスクが壊れたため、「鹿島鉄道」や「くりはら田園鉄道」の写真はこのブログの中にしか残っていないし・・・(この二つの鉄道については絶対忘れることはないけれど)。

 ところで、これらのものは場所を取らないけれど、モノは確実に空間を塞いでいきます。本、雑誌、新聞&雑誌の切り抜き、映画のチラシ、駅弁の包み紙、プラモデルの箱(未開封のものが殆ど)、映画&音楽ソフト・・・欲しくて買ったものから何となく捨てられないモノまで、雑多なモノたちが所狭しと積み重なって、部屋がトランクルームと化してきました。
 本については、同じ病に悩まされていた群ようこさんの「本棚は一つしか持たない。収まりきらない本は情け容赦なく処分する」選民方式?(映画『ゴーストワールド』に出てくるSP盤コレクターのシーモアも、1500枚の上限を設けていたっけ)が素敵だと思ったのですが、思っただけでなかなか実行に移せないのが現実です。さて、どうしたものか?


54-13-19-2=20

2011-05-12 11:00:20 | 独り言&拾いもの

 駆け足で・・・。
 日本の原子力発電所は全部で54基。今では知らない人がいないかもしれませんが、今まではニワトリさんも含めて殆どの人が知らない数字だったと思います。いつの間にか98コになった地方空港と同じように・・・。
 新潟中越沖地震が起きたときは、柏崎刈羽原子力発電所でトラブルが生じ停止中の原子炉を含めて7基全てが運転中止に至りました(現在4基が運転再開され、残る3基が検討中)。にもかかわらず、原子力発電の危険性(安全という言葉を使うのはおこがましい気がする)についても、停止したときに発生するかもしれない電力不足(結局、電力不足は生じなかったけど)についても無頓着なまま今日に至ってしまいました。東日本大震災が起こらなければ、残る3基も夏までには運転再開され「めでたしめでたし」になった筈。

 この際だからもう少し調べてみたら、54基の商業用原子炉以外に研究用の原子炉(高速増殖炉)「もんじゅ」があります。話が長くなるので「もんじゅ」については割愛しますが、現在運転再開に向けて準備中です。何も起こらなければ今年中に運転再開されたでしょう。
それから、既に廃炉になった原子炉が4基あります。そのうち、「東海第一」と研究用原子炉「ふげん」が解体作業中で、浜岡原子力発電所の1&2号機が2009年1月に運転終了し廃炉になりました。

 新聞やテレビで殆ど報道されないので原子炉の稼働状況がわからなかったのですが、5月9日に「原子力安全・保安院」が、「2010年度の稼働率(今年の3月31日まで)は全体で67.3%だった」と発表しました。
(稼働率の低さについては定期点検が必要ということで納得)
 これだけではよくわからないので、日本原子力技術協会がHP上で公開している運転状況を参照したところ、震災以後事故を起こした福島第一原子力発電所以外に「福島第二」「女川」「東海第二」など全ての原子炉(13基)が停止中であることを改めて確認しました。残る原子力発電所でも、19基が定期検査中につき運転を休止していることがわかりました(泊3号機は定期検査の調整運転中。敦賀2号機は燃料漏れを起こし停止中)。
 ということは、今現在営業運転中の原子炉は22基しかなく、運転停止要請を受けた浜岡原子力発電所の2基が停まれば20基!まで減少します。先に述べたように、柏崎刈羽発電所の原子炉3基を始めとして、定期点検中の原子炉の運転再開も微妙な状況で、当面はこの20基以外の運転を行えないかもしれません。
(どの原子炉で「プルサーマル運転」が行われているのかまでは調べていません)

 このことは、原子力発電所が100年かけてなくなればいいなあ~と考えている私には「拍子抜け」に近い朗報だったのですが、電力不足は指摘されてもこの数字(稼動状況)については前面に出てくることがなく、浜岡原子力発電所の運転停止要請をめぐるマスコミ&経済界の反応は、疑問や異議を唱えるものばかりでした。
 それに対して今朝(5月12日)の東京新聞「こちら特報部」で、「浜岡原発の停止決定後の新聞各紙には、本誌も含め、『東電、再び電力不足も』『夏の電力、各地で切迫』などの見出しが躍った」との批判記事を掲載していました。同特報部の調査によれば、広野火力発電所が7月に稼動すれば380万キロワットの供給が可能になり、夜間に余った電力でダム湖に水をくみ上げて発電する「揚水電力」も上積みできるため、「今夏の東電の電力供給能力は全く問題ないどころか、需要を上回る。余剰電力は東北電力などに融通すればいい。浜岡原発の停止は、電力各社の供給能力に影響しない」と、同発電所を視察した衆院科学特別委員長の川内氏が断言したそうです。
 「原発反対派」の主張(原発が無くなっても電気は無くならない)が、また一つ正しかったことが証明されたわけですが、東京電力は広野火力発電所や揚水発電の現状を明らかにしておらず、「電力供給力への不安を解消するどころか《得意の情報隠し》で危機をあおっている格好だ」と厳しく批判していました(見出しは週刊誌並みにセンセーショナルな「東電、また情報操作」「狙いは原発存続?」)。

 (燃料調達の問題があるけれど、それを言い出せばウランだって同じ話)原子力発電所がなくてもやっていけることがわかっているのに、なぜ原子力エネルギーに拘泥するのでしょう? 
 それについては、引き続きにわか勉強を続けることにします~。


とりあえず・・・

2011-05-07 12:48:32 | 独り言&拾いもの

 とりあえず、浜岡原子力発電所で稼働中の2基と運転再開を待つ1基について(残る2基は既に廃炉になっていて稼動はしていないが冷却は必要)、運転を停止するよう要請した管首相にエールを送ります。これが得意の「思いつき」ではなく、浜岡をスケープゴートに今までのエネルギー政策を「粛々と進める」(と関係者は堂々発言している)」遠謀でもなく、支持率アップだけを狙ったパフォーマンスでもない「第一歩」であってほしいと願いますが、ニュースでは「本当に停めて大丈夫なの?」(大丈夫?というなら垂れ流し状態の放射能では?)との報道ばかりだったそうで(「報道ステーション」だけは間に合って見られたが、確かに呆れた)、「あきれたもんだぜ、サマータイムブルース~♪」と口ずさむ毎日です。

 ニワトリさんは、魚などの刺身は大好きなのに生肉には興味がなく、「ユッケ」も「レバ刺身」も「馬刺し」も食べませんが、(魚と違って)「肉はよく焼いて食べる」ことが前提となっているからなのか、生肉用の食肉がそもそも存在せず、従って生肉用の食肉の安全基準もなく、にもかかわらず普通に生肉を食べていた、ことを初めて知りました。役所のやること(やらないこと)には、色々驚かされますね・・・と書きましたが、1998年に起きたO157による食中毒を教訓に食用生肉の衛生基準ができ、それをクリアしたものだけが包装に「生食用」と表示できる法律ができました。その結果どうなったかというと、2008~9年の統計によれば「生食用」として出荷された肉はゼロだそうです。でも、焼肉店だけではなく居酒屋でも「ユッケ」や「レバ刺し」がテーブルに運ばれてきました。忘年会とかで、私もつまみました・・・(絶句)。違反しても罰則がないからでしょう、ザル法の見本(お手本といった方がいいか?)ですね!
 (牛や豚の寄生虫については授業で習ったような・・・)食中毒を起こす細菌は肉の表面にいるそうで、だからレアステーキも表面だけはあぶって火を通していたのかと納得したのですが、生肉で食べる場合は危険な表面部を削り取るよう指導してきたとか・・・事故を起こしたチェーン店では「もったいないから」を理由にやらなかったそうだから、いかにもありそうな話だけれど言語道断の人災になってしまいました。全国の焼肉屋さんから一斉に「ユッケ」が消える風評被害も発生しており、その意味でも人災なのですが、これからは「生肉を食べるのは危険な行為」であることを自覚する必要がありそうです。
 おそらく今までは、保健所などが声高に「生肉を食することの危険性」について指摘すると、「営業妨害」どころか他国の食文化の否定につながりかねないので口を挟まなかったのでしょう。「原発」問題とは深刻さがかなり異なるけれど、「安全だと思っていた」という点で、「事故がどうして起きるのか」という点で、繋がっている気がしました。

 川村湊さん(文芸評論家で法政大学国際文化部教授。この方は、自分と同じように原発推進派でも反対派でもない傍観者だった)が書いた『福島原発人災記』(現在進行形だし、その2も出して欲しい)を読んで大いに共感しました。川村さんも参考にされた「東京新聞」は、事故当時から今現在も「フクシマ」をフォローする記事を書いていて、私も「にわか勉強」を続けます。
 今まで漠然として抱いていた「このままでいいのだろうか」という思いが、恥ずかしながら3月11日を境にはっきりしてきました。それについては、なかなか時間が取れないのですが(それにパソコン上で取りたくない)、継続的に記事にしていくつもりです。とりあえず、あれから二ヶ月近く経つけど、特に間違ったことは言っていなかったようだし、以前に削除した記事を復活させましょう。


今年のGW

2011-05-06 23:31:10 | 独り言&拾いもの

 (まだ終わっていないけど)今年のGWは例年に増して慌しく通り過ぎてしまいました。
 (こぞって休む必要はないと思うけど)今日まで休めたのは30日のみで、1~2、5~6日が夜勤(基本的に15時から翌日11時までだけど、なんだかんだで12時~13時。2日は会議もあって16時。6日の今日は緊急が入って20時半に)。
 3~4日は三つのグループホームを連ねて一泊旅行に行ったのですが、渋滞に捕まり朝から晩まで車に乗っていました(道をある程度知ってるニワトリさんは往きも帰りも全運転)。朝8時半に家を出て9時45分出発。高速に乗るまで約2時間かかり夕食前にかろうじて宿に到着。深夜1時半に就寝(皆が寝てから飲んでた)。翌日は5時には起きて8時45分出発。GHに戻ったのが20時40分、帰宅は23時半というハードスケジュール! こなしてしまう自分が怖い? 
 明日は完全なオフ。明後日も基本休みですが、もしかすると仕事になるかもしれません。先ほどまで菖蒲湯に浸かって好い気分だったのですが、かなり眠くなってきたのでもう寝ます。変な文章書いて失礼しました。


これでいいのだ?

2011-04-28 12:00:00 | 独り言&拾いもの


 今朝の東京新聞(2面)を読んで、暗澹たる想いに駆られた。中部電力が現在停止している浜岡原発の3号機を夏の電力不足を理由に稼動させるというのだ。今も福島でニンゲンが制御できない「ゴシラ」が暴れていて、戦時中の特攻隊のように「必死」の覚悟で被爆しながら働く人々がいる。身と心を引き裂かれるように住み慣れた家と土地から強制的に(立ち入り禁止区域に入ると罰金を払わされるのだ)避難させられた人々がいる。こうなるだろう(止めるどころか見直す気もさらさらない)と予想はしていたが、目を疑った。以下、記事を書き出すと・・・
 
 
中部電力は、定期検査中の浜岡原発3号機(静岡県御前崎市)を、電力需要が高まる七月までの再開を前提とする本年度の業績見通しを決めた。二十八日に公表する。東京電力福島第一原発の事故後、東海地震の想定震源域に立地する浜岡原発の地震や津波対策を不安視する声は地元を中心に高まっており、再開には反発は必至だ。
 電力需要は例年、七月下旬から八月中旬にピークを迎える。3号機を再開せず、代替として火力発電でまかなった場合、経費は一カ月で六十億円増加するという。年換算では五百億円前後となり、中電の二〇一〇年度の黒字予想に匹敵する。
 東日本大震災後、中電は原子力安全・保安院の指示で、高さ十二メートル以上の防波壁の設置や、非常用発電機を二階屋上にも設置するなど総額三百億円の緊急対策をまとめた。保安院は二十一、二十二日に立ち入り検査を実施、今月中にその妥当性を評価する見通し。

 本紙の取材に、中電幹部は「緊急対策はあくまで『安心』のためで、現状も『安全』は確保されている。丁寧に地元に説明し、夏場までには稼働させてもらいたい」と話した。ただ別の幹部は「運転再開時期を盛り込むのは、投資家に収支見通しを示す必要があるため。実際に稼働できるめどは付いていない」とも説明。世論動向もあり、実際に七月に再開できるかは不透明だ。
 保安院の審査に通れば、3号機の再開に向けた法的な手続きは整う。一カ月の調整運転を経て、営業運転に移ることになる。ただ、御前崎市周辺の自治体に原発への不安感は強い。川勝平太静岡県知事は二十五日の会見で、津波の危険性などを強調し「対策が万全とは、素人考えでも難しい」と話し、現状では再開は受け入れがたいとの姿勢を示している。
 3号機は昨年十一月に定期検査を始め、順調なら、今年三月下旬から四月上旬に原子炉を再起動する予定だった。現在、福島第一原発事故の深刻化を受け、安全性の再点検のため、再開を見合わせている。

 ニワトリさんは「活動家」ではない。質問されたときは「原発はいらない」と答えてきたが、そのためのアクションを起こしたことは一度もなく、むしろ極めてシニカルに考えていた。
「毎年交通事故で一万人近い犠牲者が出ても(しかもそれは本人が24時間以内に死亡した場合に限り、残された遺族の悲しみ&苦しみも数字に入っていない)、誰も車に乗るのを控えるべきだと言わないどころか、新車の売れ行きが悪いと景気が悪いと眉をしかめ、歩行者への安全対策は全くされていないに等しい(実際の話、物凄い運動エネルギーを持った物体と衝突するのだからいかんともし難いが)のが実情だ。毎年3万人を超える自殺者が出ていても、結局は容認しているではないか。原発も同じ話で、誰もが「見ざる言わざる聞かざる」を決めこんできた。水力発電(ダム)はこれ以上増やしてほしくないし、火力発電は大気汚染が問題だ。風力発電は設置場所によって低周波の問題や鳥の衝突といった問題が生じる。つまるところ、代替エネルギーを確保するまで原子力エネルギーを認めざるを得ないのでは?」

 だが、この認識が決定的に間違っていたことが徐々にわかってきた。まず、使用済核燃料が安全に冷却されるまで十年単位の時間を必要としていること。使用済核燃料とは極めて危険な死の灰のことで、それらが大量に施設内にプールされており、既に飽和状態にあるのに最終処理場(=保管場所)すら決まっていないこと。そんなことも知らなかったのだが、これだけでも原発をやめる理由として充分だ。
 そして、ひとたび放射能が漏れ出したら止める方法がないこと(全くその通りの状況になっている)や、その影響は何世代にも引き継がれること。頭では理解していても未だに実感できない。でも、愕然とする。我々はいざとなったら制御不能なゴジラを54匹も飼っているのだ。
 さらに、原発の維持管理に携わる人々が日常的に被爆していて(人が一生の間に自然界から被爆する放射線量は16ミリシーベルト。この緊急事態に、作業員の許容被爆量は瞬間250ミリシーベルト、年間50ミリシーベルトまで引き上げられた)、作業員が五年後に癌で死亡しても原発との因果関係を認められないことを知れば、もはや犯罪ではないかとまで思う。
 極めつけは、原発を廃止すると一時的な電力不足は生じるかもしれないが長期的には電力不足は生じないことと、世界的には太陽光・風力などの発電量が原子力の発電量を上回ったこと。つい先ほどまで言われていた「原子力ルネッサンス」なる言葉が、第二次大戦前の妄想&虚言と重なる。あのとき日本は、広島&長崎に原子爆弾を落とされて戦争継続を断念したが、東海村&福島の事故の後でも原子力政策を続けるのか? 高速増殖炉?プルサーマル?日本だけがなぜ?

 耳にタコができるほど聞いた「直ちに健康に影響はない」という言葉を裏返せば、「やがて影響が生じる」ということだ。長年被爆治療に携わってきた肥田舜太郎医師(現在94才になられた)は、放射線の影響が出るのは早くても一年後で一生続くことが問題だとして、被災地で最近見受けられるようになった「下痢」の症状に注目している。広島&長崎でも直接被爆していない人々が体のだるさを訴えたり、下痢の症状を起こしたからだ。
 テレビに出てくる原子力専門家は、国内海外問わずその大半が原子力エネルギーを肯定してきた人々で、その恩恵を受けてきた。公共広告機構(AC)のメインスポンサーは「東京電力」だった。「反原発」を表明した芸能人は「被災地支援」のCMに出演しない。依頼が来ないからだ。「反原発」の立場をとる学者や研究者、運動家がテレビに登場するのは被害が「風評」ではなくなってからだろう。
 水俣病が認定されるまでどれくらいの年月がかかったか? 事故は必ず隠蔽される。東京電力に限った話ではない。不都合なことは隠せなくなるまで公にしないのは保身のためだ。小さなことなら誰でも身に覚えがあるだろう。
 意図的に隠す意思がなくても、「口にしたことは現実化する」という日本人特有の言霊信仰に従って、好ましくない未来の話はいっさいできない。もしもそんなことを言ってしまったら、「お前はそうなるのを望んでいるのか」とか「お前がそう言ったからこうなったのだ」と言われてしまうからだ。危機管理とは「最悪の事態」を想定してそうならないよう努めることだが、「最悪の事態」を想定できないのだから、誰が首相であろうと機能し得ない(といって、無能な人が居座っていい理由にはならないが)。

 もっとも厳しい現実は、低放射線物質を体内に取りこむ内部被爆と、その後に罹った疾病との間に因果関係があるとは考えられていないことだろう。全世界の病院や核施設に基準値を提供しているICRP(国際放射線防護委員会)は、内部被爆を無視している。被爆から五十年後に癌で死亡しても、被爆のせいで癌になったと立証できないからだ。WHO(世界保健機関)は、イラクやアフガニスタンなどの子供たち、出征兵士、出稼ぎ労働者らに生じている放射線の影響によるものと思われる疾病と劣化ウラン弾との因果関係を認めていない。WHOが認めていないのだからそれが正しい? お人好しもほどほどにした方がいい。
 今回の稼動に関して中部電力は「安全は確保されている」と言っている。子飼い同然の原子力保安院の審査は通るに決まっている。後は、我々が「電力不足」を理由にそれを認めるかである。 


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2011-04-26 22:31:00 | 独り言&拾いもの

 不愉快な『朝まで生テレビ』の6分41秒より、AngelaさんがUPしてくれた『東京原発』(04)の9分37秒を見た方がはるかに有意義だと思い、一週間前から書き始めた記事の冒頭に持ってきました。是非、ご覧ください。
 (ベンガル&柄本明と一緒にやってた)東京乾電池時代が懐かしい綾田俊樹(教授)が明快に解説してくれる『東京原発』の映像は → ここをクリック

 【YouTube】にUPされている『朝まで生テレビ(原発事故を受けての緊急特番)』の一部ダイジェストを見て、勝間和代(については香山リカの「勝間和代を目指さない!」に座布団一枚!)とホリエモン(放射能から安全な場所でゆっくり読書・・・なら収監もいいね?)の発言に吐き気を覚えた。
 彼女は、「プルトニウムは普通にできるものですから、たまたま濃いだけで大きな危険と言うのは・・・区別はない筈です(後半部意味不明)」「チェルノブイリの事故で小児の甲状腺ガンは10倍くらいになりましたが、それ以外の病気が増えた兆候は色々調べたけどない(「死んだ大人は50人しかいない。マスコミはいい加減なことを言ってはいけない」と田原総一郎がフォロー)」「(今回の)放射能で死者が出ましたか?津波の死者と比べて(原子力)報道はバランスを欠いている」「そもそも放射性物質が実際よりもかなり怖いと考えられていることが問題なんです」など、わずか6分41秒の間に太鼓持ち(ホリエ)を従え問題発言を繰り返し、あまりの物言いに中国人のパネリストが「(そんなに安全なら)東京の横に原発を建てればいい」と揶揄をはさむや、「中国は北京や上海に原発を造りますか?造らないでしょ!」と、(画像を見た人々のコメント欄でも指摘されていたが)異様に黒い鼻の穴を膨らましてヒステリックに切り返していた。
 常軌を逸した人物の戯言なら無視するが、彼女がそれなりの(というか莫大な)高額所得者であり、教育番組などにも顔を出している社会的人物なのだから、断固糾弾しようと思う。
(後で叩かれたのか、自身のブログで、この発言はなかったかのような原発広告に携わった謝罪と、東電&国に対する提言!をしている。恥を知れ!)
 とは言ったものの、「みんなクソだったんだよ~」とアンプラグドで歌う斉藤和義くんに従えば、クソ女のクソ発言など取るに足りない話なんだけど、この先どうしても原発が必要だと言うなら、それを必要としている東京のど真ん中に建設するのが、やはり一番筋が通っている(ニワトリさんは東京湾を守りたいと思うので反対するけど)。なぜ、東京ではいけないのか?

 福島ナンバーの車の駐車拒否、福島県人の立入禁止、被災地から疎開してきた子供を苛める、といった信じがたい「福島差別」が問題になっている。避難してきた人に、「原発で儲かっていたくせに今更なんだ」と罵る輩までいるそうだ。
 こうした差別をしているニンゲンがこのブログを読んでいるとは思えないが、ひと言言っておくと、我々は十九世紀以前の人々と比較すれば考えられないほどの放射物質や化学物質に囲まれていて、その幾らかは体内に取り込んでいることをまず認識すべきだろう。とはいえ、医学の進歩により平均寿命は十九世紀の人々より上がっているのだから、取り立てて現状を嘆く必要はないのだが、福島差別に精を出す暇があったら屋内退避に専念した方が賢明だし、いっそのこと文明の及ばない場所まで避難すれば、もう二度とこの種の問題に頭を悩まされずに余生を過ごせる。
 先日、川崎市が震災で大量に発生した倒壊家屋の木屑など廃棄物の処分への協力を表明した途端、「川崎が福島の被爆ゴミを大量に引き受ける」との誤った情報がインターネットやツイッター上で広まり、「処理施設の煙突から出た放射性物質を含んだチリが首都圏に飛散する」などのデマが飛び交い、川崎市に対して約二千件の抗議メール&電話が寄せられたという新聞記事を読んだ。抗議の中には、「川崎市長が福島出身だから、市民が犠牲にならなければならないのか?」といった、嫌な言い回しもあったらしい。
 くだらぬことを呟く前に、法律で「一定基準を超えて放射能汚染されたものは全て移動が禁止されている」ことを思い出そう。それにより、泣く泣く出荷制限を受けた野菜が何品目もあった筈だ。牛乳も魚も出荷できず廃棄された。同じ理由で汚染されたゴミも移動できない。
 でも、である。汚染されたゴミだってどこかで処理しなければならない。「みんないっしょ」を合言葉に一億総ざんげだか祈りだか知らないけれど「私たちにできることは何か?」と問うならば、こうした問題も避けて通れないはずだ(今まで避けてきたし、誰もが引き受けたくないから、使用済み核燃料の最終処分場が未来永劫決まらないのだが)。
 何度も繰り返して恐縮だけれど、原子力発電所で作られた電気を使っているのは我々首都圏に住む人間なのだ。電気を使うだけ、というのはどう考えてもフェアではない。原子力政策は、フェアでないという点で沖縄を始めとする基地問題にも似ている。誰かが犠牲になるようなシステムを維持する必要が本当にあるのだろうか? そんな社会を容認するのか? 

 新聞&テレビは殆ど取り上げなかったみたいだが(最初に行われた1500人規模の銀座デモはNHKでも報じた)、4月10日に高円寺で行われたデモには若者を中心とする1万5000人もの人々が集まって、今話題の「ずっとウソだった」や「ラブミー・テンダー」(「サマータイム・ブルース」は唄わなかったの?)を唄いながら行進したらしい。町山智浩がつぶやいた「花見」集会にも多くの人が集まった。何より驚いたのは、中国電力と30年近く戦い続けている祝島の人々だった(それを教えてくれた映画『ミツバチの羽音と地球の回転』に感謝!)。チェルノブイリ事故の起きた今日26日には、ドイツ&フランスで10万人規模のデモが起きたらしい。世田谷区では「反原発」を掲げた人物が市長に当選した。
 その一方で、「今はそんなことを言ってる場合ではない」という言い回しに思考停止させられてしまっているのか、計画停電が功を奏したのか、原発に対する賛否の割合は事故前と大差がない。マスコミに登場する専門家の「この程度の被爆なら安全だ」という言葉を鵜呑みにするなら、これだけ大量の放射線物質が飛び散っても健康被害はないのだから現状維持でいいじゃないか、という話に当然なるだろう。

 一ヶ月ほど前に、「電力は本当に足りないのか?」疑問を述べたら、たちまち抗議のコメントを頂き、嫌気がさして記事を削除したが、亡くなった清志郎さんが「電力は余ってる~」と歌っていた頃から、やっぱり電力は余っていたというか、正確に言えば電気を必要以上に消費!していたことが、ここ一ヶ月の間に明らかになってきた。それを実感するにはあまりに高い代償を払うことになってしまったけれど、これだけの犠牲を払ったのだから、原発の新規建設を中止し東海地震に耐えられない浜岡原発を即時停止するぐらいはすぐに実行できると思うのに、今のところそんな気配は全く見られない。でも、まずそこから始めて欲しい。そして、低エネルギー社会への変換を図りながら今後100年かけて(最短でも半世紀はかかる)54基の原発を廃止していく・・・それができたら本当に「日本はスゴイ」と思う。


にわとりトシ子改造計画

2011-04-16 21:59:05 | 独り言&拾いもの

 今週はバタバタしていたのと、節電のため?新しい記事の更新はしませんでしたが、夜勤明けの木曜日は畑仕事で気持ちの良い汗を流してからもう一仕事して吉祥寺【MEG】へ、金曜日も仕事を終えると立川【HALF
TONE】へ駆けつけ、今日土曜日は上映再開された『ミツバチの羽音と地球の回転』を観るなど、相変わらず飛び回っています。

 ニワトリさんは基礎代謝が低いのでしょう。これで少食なら特に不都合はないのですが、基本的に食べるのが好きで、最近はいよいよ食べ物をおいしいと感じるようになり普通以上に食べています。おまけに異常なほどの早食いなので、満腹信号が脳に伝わるまでについつい食べ過ぎてしまいがち・・・。だからでしょうか、これだけじたばた動き回っているのにもかかわらず体重が一向に減りません。インフルエンザに罹ったときは2kgぐらい減ったので喜んでいたのですが、すぐに元に戻ってしまいました。
 ニワトリさんの平熱は35度台です。インルエンザのときは37.8度ぐらいまで上がったので、2度高かったことが2kgの減量になったのだとすれば(食欲は全く落ちなかった)、今の平熱を人並みの36度5~6分まで上げることができれば、万事解決めでたしめでたしということになります。
 木曜日、仕事先に話題の「体温を上げる」本(サンマーク出版の本を手に取るのは初めて!)が置いてあったので、40分くらいの待ち時間の間に読んでみました(ニワトリさんは食べるのと同じくらい読むのも速い)。お風呂の温度は41度、有酸素運動と無酸素運動を交互にする、規則正しい朝型の生活をする、などなどごく当たり前のことが書いてありました。その意味では殆ど参考にならなかったのですが、電気に頼らず生活するだけで基礎代謝を上げることができるのではないかという想いが、ふと頭をよぎりました(一番重労働の家事は洗濯だと、洗濯機が壊れたときに実感)。

 その本では特に触れていなかったけれど、哲学者のカントも夜10時に寝て5時に起床していたそうだから、朝早く起きて朝食前にひと仕事(スポーツでも散歩でも掃除洗濯でも)するのはとてもいいことかもしれません。自分の場合、夜勤もあるしライブハウスとかも行くだろうから、寝る時間はまちまちになるけれど、健康的で文化的な生活を送るためにも、少しずつニンゲンを変えていこうかしら?
 新聞によれば、東京電力は今夏の電力を確保したそうで、経済産業省は大規模停電を回避するための節電計画を緩和して過度の節電(って何?)をしないよう呼びかけることも検討しているとのことですが、ニワトリさんの脱電化(今にして思うと、オール電化が良いと考えていたこともありました)は始まったばかりです。あっ、あと1分を切りました! それでは、おやすみなさい。