楽農piano協奏曲

一日一生。一日一笑。


孤高の人

2014年02月07日 | 文学

 新田次郎の山岳小説「孤高の人」を読み終えた。

山をこよなく愛してやまないSさんが貸してくれた。

 大正~昭和初期にかけて、日本登山界に不滅の足跡を残した加藤文太郎(1905-1936)の短い生涯を

描いた作品である。

 周到な計画のもとに単独行してきた彼が、初めてパーティを組み向かった槍ヶ岳北鎌尾根。

昭和11年正月5日吹雪の中に消息をたった。

 

妻と生まれたばかりの子となぜ一緒に正月を過ごさない。

なぜ単独行を最後まで貫かなかったのか。   ‥‥と私は思った。

 

 この小説で、加藤は燕山荘に寄る。(燕山荘は大正10年7月15日に赤沼千尋が建てた)

 

「たいへんだっつら、さあ、濡れたものを脱いで火にお当りな」 燕山荘の赤沼千尋は炉端から立ち上がって、

加藤文太郎を迎えた。

 

 早立ちする加藤に、赤沼は、

「きょうはどこまでいきなさる予定かね」 赤沼はまぶしそうな眼を空に投げかけながらいった。

「大天井岳、西岳小屋、槍ヶ岳、殺生小屋‥‥」

「そうかね、あなたならやれるずら。じゃあ注意してやるがいい、雷様が出そうだったら槍ヶ岳に登るのは

やめた方がいいな」

加藤は赤沼千尋にていねいに礼をいって燕山荘をあとにした。  

 

 さて、次の2冊の本は、近所に住む同い年の友人Tが貸してくれた。

Tの家は赤沼千尋さんの奥様の実家である。

千尋さんの随筆集「山の天辺」とその子息淳夫さんの「光彩の中で」

燕岳はもとより山小屋燕山荘の沿革やお二人を取り巻く交友関係がすべて語られている。

淳夫さん撮影の燕岳の絶景は眼を瞠る。

 

 

 小説「孤高の人」に実名で登場する穂刈三寿雄さんは、肩の小屋(後の槍ヶ岳山荘)を建設中だ。

燕山荘を後にした加藤が槍ヶ岳に向かう。その途中、植物採取していた学生矢部多門と会う。

建設中の小屋に荷物を置き、穂刈と話をしている矢部を残し、加藤は槍を目指す。

 

「あの人はあなたのお知り合いですか」 穂刈三寿雄は加藤のうしろ姿を見送りながら、矢部多門に訊ねた。

「神港造船所の加藤文太郎という人です。きょうはじめて山で会ったんです」

そうですかと穂刈はひとりでうなずいていたが、「あのひとはなんとなく嘉門次に似ていますね」

 

 肩の小屋は大正15年完成した。

巡りめぐって、穂刈さんのお孫さんは整形外科医として、私の住む地域に貢献されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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