あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

長谷寺・高野山参拝の旅(その4)

2017年12月11日 | 旅行記

旅行2日目は高野山です。
出発の数日前にタイムリーなことにブラタモリで3回に渡って高野山をやっていたので、再度録画を見てから出発しました。

今回の旅行では、最初に奥の院、次に金剛峯寺、最後に壇上伽藍と反対コースをたどりました。
駐車場とか昼食の都合でこうなったのかもしれませんが、このブログでは壇上伽藍からスタートします。
とても短時間な見学だったので、ちょっと消化不良気味です。
高野山は2回目でしたが、もう少しゆっくりと見学したかったです。

ブラタモリで得た知識がちょこちょこ出てくると思います。

慈尊院をスタートして180町の町石をたどり、1町まで来て見えたのが壇上伽藍の正門として南側入り口の中門です。
この画像は中から撮影したものです。
本当は1町の町石を確認してから門をくぐりたかったのですが、残念ながら中から見ただけになってしまいました。
1843年の焼失以来礎石を残すのみでしたが、2年前の開創1200年に再建されました。
ブラタモリで案内をしていた宮大工さんが伝統的な様式・工法で作ったそうです。









180町、約20㎞のゴールはこの根本大塔です。
伽藍の中心の塔で、最初の塔は887年頃の完成です。
現在の塔は昭和12年再建、平成8年の外壁を塗り替えたとのことなで、朱色が美しい塔です。
内部は中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、16本の柱に十六代菩薩が描かれ、立体曼荼羅となっています。
曼荼羅は空海が伝えたかったものの図解なのです。









側面から全体を見ます。









根本大塔のすぐそばにある金堂です。
高野山の年中行事の大半がここで勤修されます。









高野山御開創当時、御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。
平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。









裏から見た金堂です。
耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されています。









大塔の鐘は3度焼失して、現存は1547年のものです。
1日5回、計108つの鐘の音が響くそうです。




壇上伽藍はあと1回続きます。
コメント
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