首里城正殿を見終えて、次は北殿です。
北殿は評定所(ひょうじょうしょ)とよばれる重要案件を評議した政務の中枢機関です。
中国からの皇帝の使節である冊封使(さっぽうし)を歓待した場所でもありました。
中に入るとまず儀式の様子の模型が展示してありました。
すごい数のお役人です。
こちらは賓客を迎えた時の儀式の様子です。
2000年に開催された沖縄サミットの様子です。
写真展示を撮影したのであまり鮮明ではありませんが、正殿の前にならんで記念撮影です。
あの時はロシアも参加していたので、9名がそろっています。
メンバーはこの方たち。
北殿で夕食会が催されたそうです。
首里城内部の見学を終えて、帰路は来た時とは違う道を通ります。
まず最初は淑順門(しゅくじゅんもん)です。
国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)への表門になります。
次が右掖門(うえきもん)で、御内原への淑順門へ通じる門になります。
途中の城壁を見ると、下が古い石積み、上が復元した石積みで違いがよくわかります。
首里城外郭の北側に位置し、かつては女性の通用門として使用されていた久慶門(きゅうけいもん)です。
左奥には入城する時に通過した歓会門が見えます。
この木のそばには「歴史を語るアカギの大木」という案内がありました。
それによると戦前は首里城の城壁まで幹の太さが1mもある枝を伸ばしていたアカギでしたが、沖縄戦によって焼かれてしまい、枯れた幹だけが残りました。
その後の台風でさらに幹が折れてしまっていたところ、アコウ(クワ科)が寄生し、アカギを守るように周辺を覆って昔の面影をとどめているということです。
最初に見た守礼門まで戻ってきました。
首里城だけでも投稿が4回もかかりました。
まだ沖縄旅行記は続きますが、また年が明けたら再開したいと思います。
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