あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

沖縄の旅(No7)世界遺産編(首里城その3)

2015年12月28日 | 旅行記

一口に首里城と言っても、色々な建物があり、見学者は南殿から内部に入り、正殿を見て、一度外に出てから北殿の内部に入ります。

南殿は美術品が展示されているので撮影禁止です。
その後撮影OKの場所はここからです。
ここは書院で白木造りの和風建築で、国王が日常の政務を行っていました。
隣には王子の控え所で、賓客にお茶の接待をした鎖之間(さすのま)があります。










書院と鎖之間の外には、城内で唯一の本格的な庭園があります。
















書院から見える建物は、国王が執務の合間に休憩した奥書院です。








所々にいるスタッフの帽子の色は階級を示しています。









そしていよいよ正殿へ、2階から入りました。
中国と日本の両方から影響を受けつつ、独自の琉球文化、琉球装飾を築きあげたその結晶とも言える首里城正殿内部とその彫刻は目を見張るものがありました。
名称や読み方がとても難しいです。

正殿2階は、日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり大庫理(うふぐい)と呼ばれていました。
王家の行事が行われた男子禁制の場所で、国王など限られた人しか入れなかったといいます。

御座床(うさすか)は1階にもありますが、2階の御差床は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところです。

御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されています。
真ん中の豪華な国王の椅子は、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものです。









部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の3枚の扁額(へんがく)掲げられています。
真ん中の「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものです。










側面の羽目板には葡萄(ぶどう)と栗鼠(りす)の文様が彫刻されています。









御差床の正面にある部屋は唐玻豊(からはふ)と呼ばれ、正月の儀式や中国皇帝への親書を送る時などに、国王が椅子に座り御庭に並ぶ諸官とともに儀式を執り行った重要な場所です。









国王の椅子からは少しはずれていますが、こんな風景を見ていたのでしょうか。









正殿1階は下庫理(しちゃぐい)と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
中央の華麗な部分が2階にもあった御差床(うさすか)で、政治や儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座です。







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