報道で取り上げられている普天間基地のオスプレイが見られる場所があるというので行くことにしました。
まず普天間基地の歴史にちょっと触れておきたいと思います。
Wikipediaからの引用です。
沖縄戦の最中に、宜野湾一帯がアメリカ軍の支配下に置かれると、アメリカ陸軍工兵隊の発注により中頭郡宜野湾村(現・宜野湾市)の一部土地を接収し、プロペラ機時代としては破格の規模となる2,400m級の滑走路を持つ飛行場が建設されました。
沖縄戦自体は6月23日に組織的戦闘が終結したとされるが、建設は続けられました。
当時の目的は日本本土決戦(連合軍側から見た場合ダウンフォール作戦)に備えるためであり、兵員及び物資の輸送に供することでした。
本土決戦はありませんでしたが、米軍は着々と準備を進めていたのです。
沖縄観光はほとんど観光タクシーで回りましたが、運転手さんがパチンコ店の屋上駐車場が良く見えると言って連れて行ってくれました。
世界一危険な基地と言われている普天間基地の周辺には住宅が密集しているのがよくわかります。
ズームしてみるとオスプレイが並んで停まっているのが確認できました。
空中に突き出た煙突みたいなものも基地の施設のようです。
次の目的地に向かう途中、タクシーの運転手さんが寄ってくれた場所があります。
2004年8月13日に米軍ヘリコプターが沖縄国際大学の旧本館ビルに激突し、墜落・炎上しました。
事故直後から米軍は現場を閉鎖し、機体の撤去が終わるまで閉鎖は続きました。
大学側は「米軍ヘリコプター墜落事件対策本部」を立ち上げ、学生・教職員の安否確認、関係機関への協力依頼、抗議活動、情報公開、取材対応など行いました。
2006年には新本館が竣工し、事件のあった旧本館の壁の一部を残しています。
事件の跡地にはヘリコプター墜落の際に被災したアカギという木が残され、事件を記憶に留め、平和を願い続けるために小公園となっています。
タクシーで基地の近くを走っていると、日本の国旗の横にはアメリカの国旗が半旗で掲げられていました。
数日前にアメリカの福祉施設で銃撃事件があって犠牲者が出たためだと思います。
こんな光景を目のあたりにすると、沖縄戦以来のアメリカ軍の影響は、沖縄には未だ色濃く残っているのを感じました。
戦争の記憶編はこれで終了です。
次からは世界遺産編になります。