しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主への食物>

2024-03-20 | 出エジプト記
「アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上の薪(たきぎ)の上にある全焼(ぜんしょう)のささげ物に載(の)せて、焼いて煙(けむり)にする。これは主への食物のささげ物、芳(こう)ばしい香りである」(レビ記3:5新改訳)

交わりのいけにえの意味は、この献げものによって神と人が喜びのうちに交わることができる、というもの。つまり、イエス・キリストこそ神と人との交わりの場にほかならない。このように、主は神と人が交われるという意味において、奥義(おくぎ)そのものであられる。▼交わりのいけにえの場合、脂肪(しぼう)の部分は、焼いて煙にし、主への食物のささげ物としなければならなかった。また血は祭壇(さいだん)に注ぎかけ、残りの部分(肉)を祭司と礼拝者が食べることができた。すなわち、神と人が同じいけにえを食することにより、交わりにあずかるのである。この儀式(ぎしき)のとおりに、み子は受肉(じゅにく)し、十字架にご自身をささげ、肉を裂(さ)き、血を流された。そして永遠に父なる神のお心を宥(なだ)め、満足させ給(たも)うた、すなわち真(まこと)の食物となられたのである。交わりのいけにえはこれらの奥義(おくぎ)をあらわす象徴(しょうちょう)であり、イスラエルは千年以上にわたってこの意義(いぎ)を学んだことになる。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。」(ヨハネ6:55同)