しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅰ列王記21章 <ナボテとアハブ>

2020-08-03 | Ⅰ列王記

「ナボテはアハブに言った。『私の先祖のゆずりの地をあなたに譲るなど、主にかけてあり得ないことです。』」(Ⅰ列王記21:3新改訳)

アハブ王は宮殿の隣にあるナボテの土地が野菜畑にちょうど良いと思い、譲ってくれるようナボテに頼んだ。その返事が3節である。ナボテの言葉は律法に従うイスラエルでは当然であった。なぜなら「イスラエルの子らは、それぞれその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならない」(民数記36:7同)と定められており、エゼキエルも「君主は、民の相続地を奪って民をその所有地から追い出してはならない」(エゼキエル46:18同)と述べているからだ。▼アハブは王といっても、律法を完全に無視して生きており、神をおそれる信仰を持ち合わせていないため、腹を立て、食事もしなかった。王に対してなんという無礼な返答をするナボテのやつ、というわけである。自分の思いが通らないと怒り、心の中で相手を責めたりさばいたりする。信仰者でもこのような生き方をしている人が多い。原因はキリストの御本質である謙遜という徳が、信仰的生命として宿っていないからである。徹底して悔い改め、謙遜の心を神から頂くべきである。▼「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。」(エペソ4:1~6同)