しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ルツ記1章 <ルツの信仰>

2020-03-17 | ルツ記

うすむらさき

「ルツは言った。『お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。』」(ルツ記1:16新改訳)

今まで読んで来た士師記は、決して明るい物語とは言えないものだった。そこにはイスラエル士師記時代の民の堕落、不道徳、偶像礼拝の有様が遠慮なく、むしろ赤裸々に描かれ、私たちの心は重く沈みがちであった。もちろんそれはそれで、ひじょうに大きな教訓であったが・・・。▼しかるに、同じ士師時代でもルツ記はすばらしい内容に一変している。そこには暗黒と思える士師の時代にも、これほど信仰あつく、主を敬虔におそれる人たちがそんざいしていたのだ、というおどろきと、神の御手の偉大さ、慈しみの深さが如実に現れ、私たちの心は賛美にあふれるのだ。わずか4章の小話・ルツ記だが、その内に秘められた真理は新約の福音そのものとさえいえる。イエス・キリストの祖となったダビデの一生につながっている明るい橋にもなぞらえることができるできごと、それがルツ記である。▼ルツはモアブ出身の女性で、モアブ人とイスラエル人とは犬猿の仲であった。むろん宗教も違っている。そのルツがどうしてこのように真実で純粋な信仰を抱いたのであろう。おそらく彼女は姑であるナオミからイスラエルの神についての話を聞くうちに、この神こそほんとうの神であると知り、出身民族であるモアブの神々が無に等しいことを悟ったのであろう。▼それにしても、夫や舅が死に、ナオミがイスラエルに帰ろうとしたとき、ついて行こうと決心したのはよほどのことである。なにしろ、故郷と先祖の神々と完全に決別するわけだし、見ず知らずの土地でどんな生活が待っているか見当もつかないのだ。しかしルツの決心はゆるがなかった。彼女の心には、活ける神に対する本物の信仰が宿ったのである。異邦人の中からキリストのはなよめとして選ばれ、召された教会、キリスト者たちの姿、それが投影されているのがルツであり、キリストのそれはいうまでもなくボアズである。「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(ピリピ1:21同:使徒パウロの告白)