しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 創世記17章 <アブラムは笑った>

2019-03-05 | 創世記

赤い花「アブラムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。『百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。』」(創世記17:17新改訳)

イシュマエルが生まれて13年後、神はアブラハムに現れ、あなたがた夫婦に男子が生まれると御告げになった。全能の神が現れ、正式に御告げになった約束であったが、アブラハムは「百歳の者に子が生まれるだろうか」と笑った。この笑いは神を嘲るものではなかった、と思う。▼人は、あまりにも信じられないことばを前にしたとき、思わず笑うことがある。期待とあきらめ、寂しさなどが入り混じったもので、アブラハムの気持ちがなんとなくわかる。が、最後に彼は神のことばに従った。つまり一族そろって割礼を受けたのだ。▼割礼は包皮の肉を切り捨てるものだが、心をおおう不信仰というヴェールを脱ぎ捨てることに真意がある。傲慢と不信仰の罪、神はアブラハムの子孫であるキリストの十字架において、それを私たちから切り取ってくださった。「あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。」(申命記10:16、モーセのことば)▼「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。」(コロサイ2:11,12同)