「兄弟たち。私に倣(なら)う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(ピリピ3:17新改訳)
パウロに倣う者とは、復活を最大の目標とすること、十字架を信じる以外に人が救われる道はないと悟ることの二点である。▼これは当時のユダヤ人たちがもっとも嫌った教えで、モーセの律法を遵守(じゅんしゅ)する以外、救いの道はないと信じ、ことごとくパウロに反対した理由であった。彼らはパウロだけでなく、すでに主イエスのときから「安息日を守らないナザレのイエス」と非難し、最後には主を十字架に殺すところまで行ったのである。▼だがパウロは絶対に妥協(だきょう)しなかった。自分の死さえも覚悟し、十字架以外に救いはなく、キリスト以外に復活の希望はないと、当時の世界中を巡回して福音を宣教し続けた。それは律法を実行して救いにあずかろうと死ぬような努力をした果てに、「十字架以外救いはない」と悟ったからだ。もちろん福音を彼に直接啓示されたお方こそ死からよみがえった主イエスご自身だった。▼「兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」(ガラテヤ1:11、12同)そこで私たちも永遠の救いに入ろうと願うなら、徹底してパウロに倣うべきではないだろうか。