「彼らにはユダの山地にあるキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンとその周囲の放牧地を与えた。アルバはアナクの父である。」(ヨシュア記21:11新改訳)
大祭司アロンの一族にはくじで当たったヘブロンの地が与えられた。これには深い意味がある。ヘブロンはユダのカレブ族が所有し、もっとも信仰による支配が安定した町で、そこにアロンの一族も住むことになった。▼ヨシュアの時代にまだダビデは出現しておらず、エルサレムに神殿が建てられる構想はなかった。だがエルサレムから遠くないヘブロンに大祭司一族が住めば、エルサレム神殿での働きにはより便利であろう。神はなにもかもご存じで、アロンたちと将来の神殿を結び着けたにちがいない。▼ともあれ祭司とレビ族はイスラエル各地に分散して48か所の所有地を持つことになった。もし祭司とレビ族が一二部族の中に均等に住まなければ、長い間に律法の精神は薄れ、神への信仰が弱まり、結果として国力は衰退(すいたい)してしまう。レビ族が産業を持たず、神を自分たちの「産業」とすることは、とても重要なことだったのである。▼日本にも数千か所におよぶプロテスタント教会がある。小さいとはいえ、宣教200年の間に、これだけの数が列島各地にできたことは大きな意味があると思う。その上、キリスト者たちの家庭が多く存在し、各社会の分野にも信仰者が混じっていることは、決して小さくなく、大切な意味をもっている。塩が混じっていなければ、食べ物は日持ちしないで腐敗するように、聖書の教えに生きるキリスト者がいなければ、日本の道徳基準も知らず知らずのうちに低下していくであろう。福音なき江戸時代の偶像文化や淫蕩に満ちた風俗習慣がそれを物語っている。塩が塩気を失えば何の役にもたたない、と主イエスがおおせられたように、少数といえど、日本のキリスト者たちは聖書を信じ、その教えに忠実に立った人生を送る必要がある。なぜなら、知らず知らずのうちにそれが日本を腐敗から守る結果になるからだ。