しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <ベニヤミン族の相続地>

2024-10-09 | ヨシュア記
「ヨルダン川が東側の境界線である。これがベニヤミン族の諸氏族の相続地であり、その周囲の境界線である。」(ヨシュア記18:20新改訳)

ベニヤミンの相続地は北のエフライムと南のユダにはさまれた比較的狭い地域であった。だがそこには重要な町々がふくまれている。なかでもエルサレムはユダとベニヤミンの両方が所有した町であった。▼後代、ダビデがそこに神殿を建てることを決心し、ソロモンが建立、やがてイスラエルの信仰と政治の中心地となった。イエス・キリストがそこで十字架につけられ、ペンテコステによりキリスト教の中心となって今日に及ぶ。▼それに続いて、エルサレムで律法教育を受けたベニヤミン出のパウロが、キリスト教最大の迫害者から世界宣教の使徒となって、今日の福音の土台を築いたのであった。つまりベニヤミンの相続地としてエルサレムが定められたのは偶然でなく、歴史の支配者であられる神の深い御計画によったことがわかる。主の地上再臨により、やがてエルサレムが世界の首都となることも聖書に明記されている。▼「終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばがが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」(イザヤ2:2~4同)▼私たちは自分の出生の国や場所、年代を決めることはできない。気がつけば「その国、その町、その両親、その時代」に生まれていたのである。このひとつを考えただけでも創造主の御手によって自分が存在しているのだとわかる。なぜこんな国に、なぜこんな民族に、と思う人もいるがそれは傲慢である。すべてに無限の摂理と深い神の御愛があるのだから、すべて自分の人生に感謝と喜びが湧いて当然である。他人をうらやむ必要もないし、自分を卑下する必要もない。やがて全能の神と御子キリストがエルサレムに着座し、世界の王、支配者として治めることも至誠、至愛のご計画によるのであり、喜びのうちに指折り数えて待つことが私たちの生涯となって当然なのだ。