しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヤコブ2章 <活ける信仰>

2015-01-16 | ヤコブ書

つばき「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(12新改訳)

人は信仰のみによって救われる、というのは福音の大黒柱である。ところが生まれ変わっていないキリスト者が大勢出て来ると、この福音の中心がゆがめられていく。行いが軽視され、信仰生活のきよさが低下し、罪が教会内に入り込んで来るのだ。使徒ヤコブはこのような状況を憂え、本書を記した。

パウロの言う信仰とヤコブの言う行いは、実際は同じことを指している。いわば「活ける信仰」の別名なのだ。キリスト者生活には、いつの時代でも、信仰から行いを離し、風化させようとする力が働いており、そのみなもとはサタンである。彼の目標は信徒を「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」(黙示録3:1同)とのレベルまで落とし、御国に入れないようにし、結果として神をはずかしめることにある。

私たちは敵のねらいを明確に認識し、聖潔の標準を見失わないよう目をさましていなければならない。再臨の備えとは、まさにそれなのだから。「信仰をぞ、わが身の杖と頼まん。するどき剣(つるぎ)も比ぶべしや。代々(よよ)の聖徒らを強く生かしたる、御霊をわれにも与えたまえ。」(新聖歌275)