「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。」(14新改訳)
ステパノが聖霊に満たされ、輝いて証ししたとき、サンヒドリンの議員たちは「苦いねたみと敵対心」に満ち、怒号と呪いを吐いて殺到し、殴殺した(使徒七章)。
人は誇り高ぶっていると、聖霊のお働きが現れたとき、苦い心に満ちて自制心を失い、真理に逆らって行動する。主イエスやステパノ及びパウロの前でのユダヤ人がそうだった。とはいえ、ユダヤ人たちにかぎらず、あらゆる人間は罪の支配下にあるので、おなじ行動をとることをおぼえておかなければならない。あなたや私も例外ではないのである。
聖霊に逆らうという恐るべき罪から逃れる道はただ一つ、謙遜になることだ。自分自身が罪人のかしらにすぎないことを認め、塵灰に伏すことである。あのモーセに対し、民の指導者たちが結束し逆らったとき、「モーセはこれを聞いてひれ伏した」(民数記16:4同)とあるように。
[写真:除雪でできた雪山、これだけで10トン以上あると思います]