「そして主は彼に言われた。『わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに「あなたの子孫に与える」と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。』」(申命記34:4新改訳)
人間的に言えば、このときのモーセの心情は失望と落胆だったかもしれない。しかしその気持ちは少しも記されていないところが、また、何とも言えない気がする。▼ヘブル書はモーセについて次のように記している。「彼は、キリストのゆえに受ける辱(はずかし)めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。」(ヘブル11:26同)▼彼は信仰により、キリストによる永遠の御国をとらえていたのではないか。想像をたくましくすれば、ピスガの頂からはるかに広がる乳と蜜の流れる約束の地を見たとき、その向こうに新しい神の都、エルサレムと新天新地を望見していたのではないだろうか。だとしたら、彼の心はおどったにちがいない。やがて変貌山(へんぼうさん)で光の中にキリストとお会いしたモーセ、しかしすでにピスガから神の国とその栄光を見ていたのだから・・・!。
①われピスガの嶺の上より栄えを望み 心は飽き足らい 魂は火にて燃ゆ
②イエスと偕に歩み み姿拝する我は 主のきよけき愛の火にて心は燃ゆ
③主の祭壇の上に献げし全ての物を 今主の火は下り、ことごと焼き尽くさん
ほのおは燃ゆ ほのおは燃ゆ ほのおは燃ゆ うちに
ほのおは燃ゆ ほのおは燃ゆ ほのおは燃ゆ うちに
<霊感譜5>