しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に<神の子羊>

2024-09-08 | みことば静想
「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の子羊。』」(ヨハネ1:29新改訳)

イスラエル民族は出エジプトの夜、子羊を屠り、その血を家の入り口に塗り、肉を焼いて食べた。こうして夜遅く、御使いがエジプト中の長子を殺したとき、イスラエルの長子は助かったのである。▼それ以来、千数百年にわたり、人々は神の幕屋と神殿にあって羊や牛、山羊や鳩などを罪がゆるされるためささげるよう命じられた。モーセの幕屋、後のエルサレム神殿においてほふられた犠牲動物の血は、だれも計ることが不可能なほどぼう大な量であったにちがいない。いったい神はなぜ、イスラエルにこのような礼拝の行為を命じられたのであろうか。▼答えはメシア到来の預言である。来る日も来る日も犠牲の血が流され、動物が殺されていく、なぜこのようなことをしなければならないのか?ふしぎに思うイスラエル人たちがたくさんいたが、神はそれを通して人々に予告されたのであった。やがて世界が待ち望むメシアが地上に現れる。その方は人類が犯した罪を取り除き、世を救いきよめるため、なだめの供え物となって十字架に死ぬであろう。その事実をイスラエル民族の心に徹底的に刷り込むため、神殿における贖いの儀式が継続された。しかしイスラエルも世界人類もその意味がわからなかった。そしてわからないままにメシアを殺してしまった。ただひとり、それを感知し、預言したのがバプテスマのヨハネその人であった。私たちは、バプテスマのヨハネが示す指先の方に目を向け、神の子羊を熟視しながら生涯を送るべきである。