しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <私はヨセフです>

2023-11-09 | 創世記
「ヨセフは兄弟たちに言った。『私はヨセフです。父上はお元気ですか。』兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。」(創世記45:3新改訳)

それまで激(はげ)しく怒り、恐怖(きょうふ)の鎖(くさり)に自分たちをつないでいたエジプト帝国の宰相(さいしょう)がとつぜん泣きくずれ、「私は弟のヨセフです」と言った。▼兄たちは身も心も硬直(こうちょく)し、おどろきのあまり一言(ひとこと)も発することができず、茫然(ぼうぜん)と立ちつくした。特に兄ユダのおどろきは「名状(めいじょう)すべからざる」ものだったにちがいない。▼やがて主は戦乱(せんらん)の苦しみにあえぐエルサレムに再臨される。それまでの戦闘(せんとう)で生き残ったユダヤ人たちは、メシアの口から「わたしはナザレのイエスだ」とのことばを聞き、武器(ぶき)もなにもかも捨てて立ちつくすであろう。その衝撃(しょうげき)の深さはゴルゴタで主を十字架につけ、のろった民以外には決してわかるまい。▼主イエスはイスラエルをその胸に抱きかかえるようにして救われる。それに続いて嗚咽(おういん)の悔い改めが始まり、同時に諸国から集まった無数の軍隊は再臨の主と天軍に戦いをいどむが、主の御口から出ることばよって焼かれていくであろう。

朝の露 <あの子の代わりに>

2023-11-08 | 創世記
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」(創世記44:33,34新改訳)

十数年前、ヨセフは兄たちに捕らえられ、奴隷(どれい)としてエジプトへ売られた。それを提案(ていあん)したのはほかならぬユダだった(創世記三七章)。いまそのユダが、あなた(ヨセフ)の奴隷にしてくださいと申し出たではないか。そのかわり、どうかベニヤミンを父のもとに帰してくださいと懇願(こんがん)しながら・・・。彼は自分のすべてを差し出し、一家の犠牲になろうとしたのであった。▼ヨセフにも「父に会いたい」との焼けるような思いがある。ここでベニヤミンが帰れなかったらその父が悲哀(ひあい)のうちに死ぬだろう、とユダはうちあける。このとき彼は、そうとは知らずに、ヨセフの心臓(しんぞう)を槍(やり)でつらぬいた。演技(えんぎ)では決してできないドラマの頂点(ちょうてん)をみるかようだ。もちろん二人を超えて、この場面を創出されたのは神ご自身なのだが・・・。▼十数年前、ヨセフは兄たちから穴に投げ込まれ、殺されようとした。その非道さはヨセフの心深くをえぐっていたにちがいない。間一髪いのちだけは保たれたものの奴隷に売り飛ばされ、今日まで来たのだ。ところが鬼のような兄のひとりユダが、すべてを捨てて父を救おうとしている。このような愛と犠牲の心が兄にあったとは!ヨセフが自分を制しきれなくなったのがよくわかる。このユダの子孫からイエス・キリストがお生まれになり、十字架のとりなしが出現したところに、神の救いのご計画の神妙不可思議(しんみょうふかしぎ)さがある。



朝の露 <ヨセフ家の管理人>

2023-11-07 | 創世記
「彼は答えた。『安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。あなたがたの銀は、私が受け取りました。』それから、彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。」(創世記43:23新改訳)

ヨセフ家の管理人はふしぎな人物である。一連(いちれん)のできごとの筋書(すじが)きを全部知っているような口ぶりだ。エジプト人と思われるが、ヨセフとあらかじめ打ち合わせをして事を運んでいるようにみえる。▼私には、この人が御聖霊のひな型のように思えてならない。預言的にいうと、まもなくヨセフが兄たちと出会う場面は、やがてイスラエル民族が栄光のイエス・キリストにまみえるときの予型といえよう。そこに向け、すべての歴史を組み立て、運んでおられる方こそほかならぬ御聖霊なのだ。▼現代のイスラエルは建国こそしたが、依然(いぜん)として悩みの中だ。しかし、すべては地上に来られるキリストとの出会いに向け、神が着々(ちゃくちゃく)と進める行程下(こうていか)で運ばれている。▼「ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた」(30同)あるが、読んでいてもらい泣きする人もいよう。やがて到来する終末の大患難期、世界中に荒れ狂うイスラエル民族と教会(多くの異邦人たちがこの時期に回心してキリスト者になるだろう)への未曾有(みぞう)の迫害を、主イエスはあたかもヨセフが弟ベニヤミンを見たような思いでながめるのではないだろうか。「イエス・キリストの火のように燃えるご愛」こそ、地上再臨の動機にほかならないと私は思う。

朝の露 <ヤコブの心配>

2023-11-06 | 創世記
「するとヤコブは言った。『この子は、おまえたちと一緒には行かせない。この子の兄は死んで、この子だけが残っているのだから。道中で、もし彼にわざわいが降りかかれば、おまえたちは、この白髪頭(しらがあたま)の私を、悲しみながらよみに下らせることになるのだ。」(創世記42:38新改訳)

ここには、次第に追い込まれていくヤコブ一族の姿が描かれる。理由は、皆がそれぞれ人をあざむく生涯を送って来たからであった。▼ヤコブは兄、父、叔父(おじ)など大勢(おおぜい)の人をだまして人生を送って来た。息子のルベンたちもヨセフが死んだと父に嘘(うそ)をついてここまで来た(→創世記37:31,32)。その結果、にっちもさっちも行かなくなってしまった。しかし飢饉(ききん)はきびしく、このままでは一族みな死んでしまう。ヤコブはどんなに苦しかったことだろう。もちろんここまで追い込んだのはエジプトの宰相(さいしょう)ヨセフで、兄たちが罪を自覚し、悔い改めるように仕向けているのであった。▼世界歴史の終末にも同様のことが起きると思われる。イスラエル民族はますます孤立して苦しむだろう。メシア、キリストにお会いし、砕かれるため、神がそうされるのだから・・・。最近のパレスチナ紛争(ふんそう)を見ていると、いよいよその感を深くする。

朝の露 <ヨセフ、エジプトの宰相に>

2023-11-02 | 創世記
「おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」(創世記41:40新改訳)

牢獄から出されたヨセフは、わずか三〇歳の若さでエジプト帝国宰相(さいしょう)の地位に就(つ)いた。ふつう、このようなことは、まず起こりえない。これはファラオが見た夢の影響力がいかに大きかったかを物語っている。つまり、神が見せた夢のすごさに、ファラオはおびえきってしまったのである。そして彼は、一刻も早くなんとかしなければ、と心が急(せ)き立てられたのであろう。▼もう一つは青年ヨセフとともにあった神の臨在(りんざい)の現実である。その夢の解き明かしに、並みいる家臣たちが納得(なっとく)し、「このような人に国政を任(まか)せることに異存(いぞん)なし」といったとはおどろきである。全能の神が働かれるとき、予想もしない奇蹟(きせき)が起きるのを見ると、私たちは勇気づけられ、主をほめたたえずにはいられない。かくしてエジプトは飢饉(ききん)から救われ、イスラエル民族形成のため、その揺籃(ようらん)の地となった。▼イエス・キリストもまた、地上に再臨されると、全地の王となられるであろう。かつてはナザレの寒村(かんそん)出身の一青年として、貧しくいやしまれる生涯を送られた主が、一躍(いちやく)、平和の王として地上をお治めになられる。そのあまりの相違(そうい)に人類は驚きに満たされる。むろん教会はキリストのはなよめとして、主とともに世界を治めるのである。いまの終末時代、混乱と争いに明け暮れている世界にあって、キリスト者たちはすでに来たるべき神の国を心に宿した存在であるが、その日には栄光が現実となるであろう。▼かつてヨセフにより、エジプトと当時の世界は未曾有(みぞう)のききんと滅亡から救われたが、キリストはメシアとして世界を永遠の滅亡から救うために来臨したもう。主よ、すみやかに来たりませ。