あーあ、この歩道橋から飛び降りてしまいたい気分だぜ。
なに、情けないこと、言ってるの、いい年した男が。
どうせ、俺は、ボロボロのクズさ。
そんな「レスラー」のミッキー・ロークみたいなこと、言わないの。
“ボロボロのクズ”なんて、ブイブイ、フェロモン出してた若い頃のミッキー・ロークが言えば、色男のかっこつけにも思えるんだけど、いまのブヨブヨ顔のミッキー・ロークが言うと、とてもひとごととは思えないんだよ。
時の流れは残酷というか、昔の面影がどこにもないもんね。
俺も昔は、葛飾のミッキー・ロークと呼ばれてたんだけどな。
うっそー。せいぜい、ミッキー・マウスのなれの果てじゃない。
って、どんな顔だよ。
チューもしたくない。
悪かったな。
でも、人生の艱難辛苦が体中から滲み出ているところだけは、いまのミッキー・ロークに似ているかも。
「レスラー」のミッキー・ロークは、最初に登場する背中からしてすでに、うらぶれた感をビンビンに発している。
役柄が、かつては栄光の座にありながらいまは落ちぶれた場末のプロレスラー役だからね。どうしたって、実際の役者人生と重ね合わせて観てしまう。
ボロボロのクズと呼ばれた男が、男であることをリングで証明する映画といえば、「ロッキー」を思い出してしまうんだけど、あれは、これから頂点をめざす若者の話だから感動できたんだよな。あの高揚感を感じさせるには、頂点を過ぎたレスラーはどうしたって年をとりすぎている。
ミッキーは、ロッキーにはなれない。
かつての栄光を追うという意味では、むしろ、「ロッキー・ザ・ファイナル」に近い。
だけど、「ロッキー・ザ・ファイナル」は功なり名遂げた男の話だからね。
それにひきかえ、「レスラー」のミッキーは家賃も払えず追い払われるくらい過去の栄光とは無縁の男。
ひとごととは思えない?
思えない、思えない。
でも、あなたには過去の栄光もないけどね。
悪かったな×2。
結局、彼は自分の死に場所を求めていくように見える。
「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッドが死に場所を求めていくようにな。
うん、自分の人生にどういう決着をつけるか。だんだん、そんな崇高な雰囲気が漂い始めて、案外奥の深い映画になっていく。
そう、若者の高揚感はないけど、年寄りの崇高感はある。それはそれで心にグッとくる。
そんな男の磁場に引かれるように、踊り子のマリサ・トメイが心を通わせていく。
「ロッキー」のエイドリアンみたいに。
かなり老けたエイドリアンだけどね。
でも、その熟女の生活感がたまらなくチャーミングなんだ。
多くは語られないけど、彼女もきっと人生の辛酸をなめてきたんでしょうね。
それを自然な仕草で感じさせて、マリサ・トメイもミッキー・ロークに匹敵するくらいいい仕事をしている。
凄残な人生を歩いてきた者同士だからわかりあえるような情感が漂っていて、「ロッキー」のカップルでは醸し出せない後味が残る。
まるで俺たちみたいに。
私は別にそんな凄残な人生は送ってきてないけど。
そんなことはないだろう。目じりのしわを見てみろよ。
あーあ、あなた、やっぱりここから飛び降りちゃったら?
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ふたりが乗ったのは、都バス<亀29系統>
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確かにそうですよね!
観る前は「ロッキー・ザ・ファイナル」っぽいなぁ~
と思ったのですが、
再挑戦するものと、やり続けそこで死ぬことを決意した
男ではその気持ちの重さが違いましたね。
観て帰宅したら、三沢選手の訃報を聞き・・・不謹慎に聞こえるかもしれませんが、「レスラー」公開のタイミングとは。プロレスって本当に過酷なんですね。ご冥福をお祈りします。
そこで終わっているところが潔い!
「ハゲタカ」のときにも話しましたが、
物語は終わっているのに
ものほしそうに後日談をくっつけた
ふやけた映画がいかに多いことか。
少しはこういう映画の終わり方を勉強してほしいと
思いました。
(もちろんものには限度というものが
ありますが・・・)
ミッキー・ロークは体中が男の勲章でしたね。
痛々しくも、これまでの人生が滲み出ていました。
痛感させられる映画でした。
でも、その魔力を知ってしまうと、
やはりスーパーの店員に転職なんて
できないんでしょうね。
ミッキー・ロークが熱演するほど、
悲しい“さが”を感じさせて、心がゆすぶられました。
『重力ピエロ』へのTB、ありがとうございました。
私も本作『レスラー』を観て来ました。
痛いほどに孤独で、「これしか生きる術がない」っていうランディにロークが重なりました。
ならば死に場所も・・・ということなのでしょうね。
あの“ボロボロ”は半端なボロボロじゃなかったです。
女性二人との関わりに於いて、最後まで互いに重なり切れなかったというのも「人生はかくも過酷」という感じを漂わせていたと思いました。
ほんとにそうですね。心の痛みが肉体の痛みに重なって、
目をそむけたいほどでした。
けれど、あの最後の表情。
絶望という名の希望を見たようで映画史に残る名シーンになりました。
だから、こういう作品に感銘を受けるのかもしれない。
荒っぽいつくりのところもありますが、
根は普遍的な映画ってことでしょう。