Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ノット/東響

2023年11月12日 | 音楽
  ノット指揮東響の定期演奏会はベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ)と交響曲第6番「田園」。これ以上はないオーソドックス・プログラムだ。

 ピアノ協奏曲第2番ではオピッツのピアノに注目するわけだが、その演奏はドイツのベテラン・ピアニストのイメージとは異なり、みずみずしく輝くような音色が特徴的だ。清新なその音色で、激することなく、終始自分のペースを保って演奏する。穏やかといえば穏やかだが、それは変わったことをしないという意味であって、穏やかさの中にも精神の張りがある。もちろんノット指揮東響の演奏もオピッツに呼応する。演奏全体はルーティンに陥らず、若いベートーヴェンの感性を感じさせるものだった。

 だがこの曲はこれだけだろうかと、疑問がわくのも抑えられなかった。周知のようにベートーヴェンは1792年11月10日にウィーンに出る。22歳になる直前だ。すでにモーツァルトは亡くなっていた。ハイドンに師事するが、ハイドンは多忙のため、師弟関係は自然消滅する。ベートーヴェンはサリエリなどに学びながら力を蓄え、ついに1795年3月29日にブルク劇場で公開演奏会の機会を得る。ウィーン・デビューだ。そのとき弾いたのがこの曲だ(現在弾かれている最終稿とは異なる稿だが)。

 以上、音楽史をなぞるような話になって申し訳ないが、わたしがいいたかったことは、そんな機会に弾かれた曲が、たんに穏やかだとか、清新だとか、そんなレベルで終わるはずはないのではないかということだ。そう思うのは、もう何十年も前のことだが、ブレーメンでピエール=ロラン・エマール(まだ若かった!)のピアノ独奏、エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(現エルプ・フィル)の演奏でこの曲を聴いたときの印象が強いからだ。エマールのピアノ独奏には若さの野心がみなぎっていた。この曲はそういう曲なのかと思った。

 2曲目の「田園」交響曲も穏やかだったが、やはりそれにはとどまらない。一言でいえば、ノットの、オーソドックスなレパートリーをオーソドックスに演奏して充実した音楽を成し遂げる意思が感じられた。とくに第1楽章と第2楽章では弱音主体の音に細心の注意が払われた。音を抑えているのに音が痩せない。それは細かい抑揚が付いているからだろう。聴いていて心地よいが、演奏者は緊張を強いられるのではないかと思った。

 1曲目もそうだったが、弦楽器の編成は12‐12‐8‐6‐5だった。奥田佳道氏のプログラムノートにあるように、「田園」では第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの応答が多いので、この編成が威力を発揮した。また1曲目と比べて、ベートーヴェンの管楽器の使い方が格段にうまくなっていることを実感した。
(2023.11.11.サントリーホール)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« B→C 中恵菜 ヴィオラ・リサイ... | トップ | マーツァルとテミルカーノフ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事