Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パナソニック汐留美術館「ルオー展」

2023年04月27日 | 美術
 ルオー展が開かれている。パナソニック汐留美術館の所蔵品を主体に、パリのポンピドゥー・センターや国内の美術館の作品を加えた構成だ。美術学校を出たころの娼婦や道化師を描いた作品から、2度の大戦をへて、晩年の輝くばかりの色彩の作品まで、ルオー(1871‐1958)の歩みを辿っている。

 本展のHP↓に「かわいい魔術使いの女」(1947年)の画像が載っている。赤い衣装をつけたサーカスの魔術使いが、アーチの前に立つ。アーチの向こうにはリンゴのような果物、建物の中に立つ人物(わたしには聖像のように見える)、太陽(または月)などが描かれている。ルオー晩年の作品だ。

 会場に掲示された解説によると、第二次世界大戦をはさんで紆余曲折があった末に(細かい経緯は省く)、現在はパリのポンピドゥー・センターが所蔵する作品だ。本作品の1939年ころの写真が残っている。当時、女は裸婦だった。また建物は塔のある建物だった。しかし1948年にチューリヒで開かれた回顧展では、裸婦はサーカスの魔術使いに変わり、建物は丸屋根の建物に変わった。またリンゴのような果物や太陽(月)が加わった。ルオーはその後も手を入れ、最後にアーチを描いて1949年に制作を終えた。

 ルオーの数年越しに描かれた作品は「枚挙にいとまがない」そうだ。「ルオーは、同時進行的にいくつものタブローに取りかかり、一度描いた作品をしばらくそのままにして、後日、あるいは数年後に再び手を加えることもしばしばだった」と解説にある。

 そのような制作方法がルオーの作品の魅力かもしれない。ルオーの作品には長い時間と試行錯誤が堆積しているのだ。その端的な表れは厚塗りの絵の具だろう。何度も何度も塗り重ねられ、ついには絵の具が盛り上がった作品は、油彩画というよりも、ステンドグラスのような感触を持つ。そこにはルオーの労力の跡がある。

 よく知られている逸話だろうが、ルオーは1939年に画商のヴォラールが亡くなった後、相続人を相手に、未完の作品の返還を求める訴訟を起こした。訴訟は1947年にルオーの勝訴に終わった。翌年に未完の作品807点中688点がルオーに返還された。ルオーは同年、高齢のために完成が難しいと判断した315点を焼却した。そのエピソードも、上記のルオーの制作方法を知ると納得できる。

 「かわいい魔術使いの女」は穏やかに微笑む。慈愛に満ちた微笑みだ。慈愛はルオー晩年の作品に共通する。若いころの娼婦や道化師を描いた暗い作品からそこまで、よく来たものだ。晩年の作品にはルオーの長い人生が堆積している。
(2023.4.20.パナソニック汐留美術館)

(※)本展のHP

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2 コメント

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Unknown (猫またぎなリスナー)
2023-04-27 19:44:53
随分前のことになりますが、出光美術館でみた「パッション(受難)」の連作は、まだ若かった私にはちょっとした衝撃でした。一枚一枚は小さい絵でしたが、静謐でありながら豊穣な世界に、ウェーベルンの歌曲、たとえばop.15の宗教的歌曲を想起しておりました。今調べてみましたら1935年の作品、ルオーは長生きした方だと思いますが、晩年の始まりの頃と言って良いのでしょうね。
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Unknown (Eno)
2023-04-28 09:09:21
猫またぎなリスナー様
ご無沙汰しております。
ブログはいつも読ませていただいています。
私は大野和士/都響のマーラーの7番も東京二期会の「平和の日」も行きませんでしたが、おかげさまで、すっかり行った気になっています。
ウェーベルンの歌曲ですか!
そういわれてみると、私はウェーベルンの歌曲をまったく知らないことに気が付きました。いろいろ穴があるものですね。ありがとうございます。今度聴いてみようと思います。
ルオーの作品は、第二次大戦が終わったころから、色彩に明るい暖色系の輝きが出てきたように思います。本展で久しぶりに見て、感動しました。
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