Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マティスとルオー

2023年05月08日 | 美術
 東京ではいま「マティス展」が東京都美術館で、「ルオー展」がパナソニック汐留美術館で開かれている。パリの国立美術学校でギュスターヴ・モロー教室の同級生だったマティスとルオーは、生涯を通じて友人だった。そんな二人が東京で再会しているようだ。

 マティスとルオーは同じルオー門下であるにもかかわらず、作風は正反対といってもいいくらい異なった。薄い塗りで粗い筆触のマティスと、厚塗りになっていくルオー。宗教的な主題には無関心だったマティスと、宗教的な主題を追ったルオー。二人は2度の世界大戦を経験したが、マティスは作品に戦争の影を落とさなかった。一方、ルオーはケーテ・コルヴィッツに匹敵するような戦争の悲惨さを告発する版画を制作した。

 わたしは前からルオーが好きだった。今回の「ルオー展」をみて、とくに第二次世界大戦後の輝くような色彩の作品群に慈愛のようなものを感じた。慈愛に包まれる感覚だ。わたしは無信仰だが、宗教的な感情に近いものを感じた。

 一方、マティスは苦手な画家だった。生きる喜び(ジョワ・ド・ヴィーヴル)という言葉で表されることのある画風が、わたしにはピンとこなかった。だが今回の「マティス展」で「豪奢Ⅰ」を見て、挑戦的ともいえる尖った作風に衝撃を受けた。その他の作品にもさまざまな試行錯誤の跡が(おそらく意図的に)残されているのを見て、マティスの苦闘が少しわかった。

 二人が最後に会ったのは1953年2月28日だ。マティスは83歳、ルオーは81歳だった。体調を崩していたマティスのもとをルオーが訪れた。娘のイザベルが同行した。事前にイザベルとマティスの娘のデュテュイが話し合い、マティスの体調を慮って、訪問は15分までと決めていた。だがマティスはルオーを引き留め、1時間以上にわたって昔話に花を咲かせた。ルオーが滞在先に戻ると、マティスから電話がかかった。マティスはよほど嬉しかったのだろう。「これで僕は10歳ほど若返ったよ!」といった。

 マティスは3月5日に手紙を書いた。「若かりし頃の様々な瞬間に舞い戻った心地だった。おそらく、もうこのように思い出が蘇る機会は二度とやってこないだろう。心からお礼を申し上げたい」と。ルオーは返事にモロー教室のころに歌った戯れ歌を書いた。「呪われし絵描きときたら/己の絵の上で漏らしたり/ションベンで絵の具を混ぜてチョイと描けば/シニョレッリ風レンブラントの出来上がり」と(ジャクリーヌ・マンク編、後藤新治他訳「マティスとルオー 友情の手紙」↑より)。老人二人の友情が美しい。

 マティスは翌1954年11月3日に亡くなった。享年84歳。ルオーは1958年2月13日に亡くなった。享年86歳。
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