Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

従姉が亡くなって‥

2017年04月08日 | 身辺雑記
 従姉が亡くなった。享年65歳。くも膜下出血だった。3月14日に自室で倒れているのを発見され、病院に運ばれたが、同月31日に亡くなった。

 従姉とわたしとは同年生まれ。父親同士が兄弟だった。兄弟は一つの家に住んでいた。木造平屋だが、玄関と台所が別々にあり、2部屋ずつ付いていた。便所が真ん中にあり共同だった。場所は多摩川の河口で中小零細の工場がひしめく地域。そこでわたしたちは育った。

 小学、中学、高校とずっと同じ学校だったが、クラスは違った。親戚なのでクラスを別にしているのかなと、子ども心に思っていたら、高校2年のときに同じクラスになった。3年生になるときにはクラス替えがなかったので、2年間同じクラスにいたわけだが、すぐに受験態勢に入ったので、クラスの結束は弱かった。

 大学は別々だった。あるとき近所のバス停で従姉にばったり会ったことがある。「最近どうしてる?」というような話になったのだろう。従姉が自作の詩集をくれた。「へぇ‥」と感心して読んだ。感性の鋭さが感じられる言葉だったという記憶がある。当時は若者が詩集を作って、路上で売る光景が見られた。従姉が路上で売ったかどうかは分からないが、そのような詩集によくある一種の独りよがりな面はなかったように記憶する。

 従姉は、大学卒業後、小学校の先生になった。わたしも就職して、結婚し、やがて引っ越した。従姉も実家を出た。

 従姉は先生としての人生を生きた。葬儀に飾られた生花や遺品を見ると、従姉が社会問題に強い関心を持つ先生だったことが窺える。

 従姉は30代のときに本を出した。上掲(↑)の「子どもの心と響きあう」(1990年、社会評論社刊)という本。別の学校の先生との共著で、従姉は大田区立糀谷小学校に転任して、1年3組の担任になってからの2年間の出来事を書いている。さまざまな問題を抱える子どもたちと同じ目線で毎日を生きる、その感性がみずみずしい。

 生徒の一人が書いた詩が載っている。その詩はこういう詩だ――なお従姉の名前は榎本留美という――。

 えのもとるみ
 るんるんるみ
 どんぐりるみ
 うたってるみ
 じどうかんるみ
 ゆうゆうるみ
 るんるんるみ
 じどうかんるみ

 児童館もどんぐりも、クラスの楽しい想い出だ。この詩は従姉がもらった勲章だろう。従姉の旅立ちのはなむけとして、この詩ほどふさわしいものはないと思う。

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