Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スクロヴァチェフスキ&読売日響

2010年10月18日 | 音楽
 本年3月末で読売日響の常任指揮者を退任したスクロヴァチェフスキが、桂冠名誉指揮者として指揮台に戻ってきた。プログラムは次のとおりだった。
(1)シューベルト:交響曲第7番「未完成」
(2)ブルックナー:交響曲第7番

 スクロヴァチェフスキは健在だった。「未完成」では、序奏から第1主題に移るときの絶妙な間、第1主題を支える弦の歩みの精妙な軽さ、第2主題の控えめな――大仰なロマンティシズムを避けた――歌い方が、スクロヴァチェフスキらしかった。

 演奏の特徴を要約するなら、けっして停滞しない流れと、すべてのパートがしかるべきところに収まったバランス感といったらよいだろうか。私の頭には「賢者の演奏」という言葉が浮かんだが、その言葉こそ大仰に感じられて、すぐに打ち消した。

 私には、淡い色彩にいろどられたこの演奏は、今まできいた「未完成」のなかでも、とびぬけて上質の演奏に思えた。

 ブルックナーでは、第1楽章第1主題の息のながい旋律が、緊張と弛緩に色分けられて歌われるのをきいて、思わず「この1本の旋律のなかにあらゆるドラマがある」といいたい気分になった。

 異変は――私にとっての異変は――第2楽章で訪れた。この楽章は極めて遅いテンポで演奏された。思い返すと、今年3月の常任指揮者退任のときに演奏されたブルックナーの第8番でも、とくに第3楽章はテンポが遅かった。けれども、そのときには感じなかった音の重さ、あるいは粘りが、ここでは感じられた。

 その余韻が残っていたからだろうか、第3楽章に入ってテンポは元に――つまりいつものスクロヴァチェフスキのテンポに――戻ったが、音の繊細さが失われて、幾分太い音になったようにきこえた。第4楽章では充実したひびきが一貫していた。

 演奏終了後には盛大な拍手が送られた。私をふくめて、聴衆としては、スクロヴァチェフスキの元気な姿がみられれば、もうそれだけで嬉しくなるという気持ちがある。この日も、3月の定期に引き続いて、ソロのカーテンコールがあった。

 ときどきブルックナーとシューベルトの類縁性を指摘する文章を見かけることがある。私も同感。この日もそれを感じた。ブルックナーでは第9番を「未完成」と組み合わせるプログラムがよくあるが、第9番ではあまりそれを感じたことがない。第7番がもっともシューベルトに近づいた曲かもしれない。
(2010.10.16.サントリーホール)

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