Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

クレー&都響

2010年10月26日 | 音楽
 都響の10月定期はベルンハルト・クレーを指揮者に迎えた。クレーは3年ぶりになるそうだ。昨日のBシリーズは次のプログラムだった。
(1)エルガー:チェロ協奏曲(チェロ:ボリス・アンドリアノフ)
(2)ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

 私も、ご多分にもれず、エルガーのチェロ協奏曲はジャクリーヌ・デュ・プレの演奏で親しんだ。私にとっては秋の音楽。ブラームスのクラリネット五重奏曲や交響曲第4番とともに、秋になるとききたくなる曲だ。

 けれども昨日の演奏は、趣きがちがっていた。まず冒頭のチェロのカデンツァを支えるオーケストラの音が分厚い。以後も枯れた演奏ではなく、重厚な演奏が続いた。スケルツォ的な第2楽章でも軽さを感じなかった。その意味では、第4楽章のコーダの直前の濃厚な表現が一番のききどころだった。

 根っからのドイツ的な演奏様式であるベテラン指揮者と、若くて力があり余っているチェリスト――生まれはロシア人だが、この世代になるともう○○人というのはあまり意味がないだろう――が演奏するとこうなるのか、と思いたくなる演奏だった。

 ブルックナーの交響曲第4番も、口当たりのよい流麗な歌い方ではなく、ゴツゴツとした素朴な歌い方で一貫されていた。

 第1楽章は、有馬さんのホルンが素晴らしかったが、金管の音は明るすぎると感じられた。第2楽章のチェロの主題は、「あわいメランコリーをたたえた音楽」(プログラム・ノートの言葉)というよりも、太い音でたっぷりと歌われた。第3楽章に入るとオーケストラにまとまりが出てきて、金管の音も気にならなくなった。第4楽章では充実した音による圧倒的な演奏が続いた。

 昨日の演奏は一般的な1878/80年ノヴァーク版第2稿によっていた。Wikipediaによると、ノヴァーク版のスコアの冒頭には、この第4楽章について次のような研究者の評価が紹介されているそうだ。「完成度の高い作曲がされているとはいえ、独立した交響詩のようだ。さながら『最後の審判』を描いているようだ。改訂前の1878年稿終楽章の方が、先行楽章にマッチする」。

 1878年稿云々はともかく、この第4楽章(1880年改訂稿)は、さながら音の大伽藍というに相応しい――昨日の演奏はそう感じさせてくれる演奏だった。
(2010.10.25.サントリーホール)

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