土曜日に日光の鳴虫山に行ってきました。標高は1,104メートル。とくに高い山ではありません。駅前から歩いて行けるので人気があり、多くのガイドブックで紹介されています。登山の好期は4月以降とのこと。まあ、3月も4月も同じようなものだろうと思って出かけました。
駅前から歩いてしばらくすると登山口。道にはうっすらと雪がついています。登山靴をはいてきたので、雪など苦にせずに登り始めました。長い杉林の中を黙々と登っていくうちに、雪がだんだん深くなりました。ザッザッという靴音を気持ちよくききながら、中間点の神ノ主山(こうのすやま)に着きました。標高は842メートルですが、日光連山の展望がよく、目の前には女峰山(にょほうさん2,483メートル)が雄大にそびえています。その左には男体山(なんたいさん2,486メートル)も見えます。
神ノ主山から鳴虫山へは快適な尾根歩き――のはずでしたが、雪に足をとられて思うように歩けません。コースタイムは1時間ですが、いったいどのくらいかかったことやら。そういえば、何日か前に東京でも雪が降ったので、その雪がここでも降って、それが積もっているのだと思い当たりました。
なかなか山頂に着かずに不安になってきたころ、男性の単独行とすれちがい(この山行で出会った唯一の登山者です)、その先が山頂のようでした。真っ白い新雪におおわれた山頂。きれいですが、昼食をたべる場所がありません。わずかに雪が溶けている展望台のへりに寄りかかって、そそくさと済ませました。
山頂からは急坂の下りです。難所につけられたロープに感謝しつつ、木の幹につかまりながら、どんどん下りました。雪の下に木の根が埋もれていることがあり、そこに乗ってしまうと足が滑ります。何度か尻餅をつきながら、やっと平地に下りたときには、さすがにホッとしました。
いやというほど雪を見たせいでしょうか、無性にアイスクリームがたべたくなり、駅前で「蜂蜜ソフトクリーム」をたべました。その美味しかったこと!
その日のうちに帰京できる時間でしたが、プチ贅沢をして、鬼怒川温泉で一泊しました。温泉に入って手足を伸ばしたときの気持ちのよさったら!
夕食のときにはビールの中瓶1本とハーフワインを1本。部屋に戻ってテレビでパラリンピックの開会式を見ながら、缶ビールを飲んでいるうちに、眠ってしまいました。しばらくしたら目が覚めましたが、もう飲む元気がなく、そのまま寝てしまいました。
翌日は朝食後、まっすぐ帰ってきました。東武特急の車内でも爆睡。いびきをかいているのが自分でもわかりました。若い人から見たら、だらしのない中年男に見えたことはまちがいありません。
駅前から歩いてしばらくすると登山口。道にはうっすらと雪がついています。登山靴をはいてきたので、雪など苦にせずに登り始めました。長い杉林の中を黙々と登っていくうちに、雪がだんだん深くなりました。ザッザッという靴音を気持ちよくききながら、中間点の神ノ主山(こうのすやま)に着きました。標高は842メートルですが、日光連山の展望がよく、目の前には女峰山(にょほうさん2,483メートル)が雄大にそびえています。その左には男体山(なんたいさん2,486メートル)も見えます。
神ノ主山から鳴虫山へは快適な尾根歩き――のはずでしたが、雪に足をとられて思うように歩けません。コースタイムは1時間ですが、いったいどのくらいかかったことやら。そういえば、何日か前に東京でも雪が降ったので、その雪がここでも降って、それが積もっているのだと思い当たりました。
なかなか山頂に着かずに不安になってきたころ、男性の単独行とすれちがい(この山行で出会った唯一の登山者です)、その先が山頂のようでした。真っ白い新雪におおわれた山頂。きれいですが、昼食をたべる場所がありません。わずかに雪が溶けている展望台のへりに寄りかかって、そそくさと済ませました。
山頂からは急坂の下りです。難所につけられたロープに感謝しつつ、木の幹につかまりながら、どんどん下りました。雪の下に木の根が埋もれていることがあり、そこに乗ってしまうと足が滑ります。何度か尻餅をつきながら、やっと平地に下りたときには、さすがにホッとしました。
いやというほど雪を見たせいでしょうか、無性にアイスクリームがたべたくなり、駅前で「蜂蜜ソフトクリーム」をたべました。その美味しかったこと!
その日のうちに帰京できる時間でしたが、プチ贅沢をして、鬼怒川温泉で一泊しました。温泉に入って手足を伸ばしたときの気持ちのよさったら!
夕食のときにはビールの中瓶1本とハーフワインを1本。部屋に戻ってテレビでパラリンピックの開会式を見ながら、缶ビールを飲んでいるうちに、眠ってしまいました。しばらくしたら目が覚めましたが、もう飲む元気がなく、そのまま寝てしまいました。
翌日は朝食後、まっすぐ帰ってきました。東武特急の車内でも爆睡。いびきをかいているのが自分でもわかりました。若い人から見たら、だらしのない中年男に見えたことはまちがいありません。