Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

読響の次期常任指揮者ヴァイグレへの期待

2018年05月17日 | 音楽
 読響の次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレ(1961‐)が就任することが決まったが、大方の反応はどうなのだろう。今一つ盛り上がらないような気もするが。読響の発表のし方が、ホームページに掲載しただけで、とくにサプライズの演出はなかった。それも影響しているのか。

 読響はカンブルランの後釜を探しているようだった。ヴァイグレの初登場もそうだったが、シモーネ・ヤングのときも、ファビオ・ルイージのときも、テストをしているような、お見合いをしているような、そんなニュアンスがあった。これは偶然だろうが、ヴァイグレは「家庭交響曲」、ヤングは「アルプス交響曲」、ルイージは「英雄の生涯」と、3人ともシュトラウスを振った。

 わたしはその中で(ヴァイグレに決まったからこう言うわけではないが)ヴァイグレの「家庭交響曲」が一番印象に残っている。オーケストラの音がもっとも磨かれていたように思う。でも、だからヴァイグレに決まったとは、わたしも思わない。もっと複雑な事情が絡んだ末のことだろう。

 ヴァイグレは就任後、どのような路線を打ち出すのだろう。シュトラウスとワーグナーは定評のあるところだが、オーケストラの基本的なレパートリーでは、どうか。ヴァイグレとしても、メジャーなオーケストラのシェフに就くのは初めてのことなので、新たな挑戦かもしれない。

 わたしは今まで、ヴァイグレを聴いた経験は、3度しかない。ベルリンのシュターツオーパー(リンデンオーパー)でモーツァルトの「後宮よりの逃走」、バイロイトでワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」そして読響で「家庭交響曲」。

 「後宮よりの逃走」では、音楽の流れのよさと、すっきりした造形が記憶に残っている。「マイスタージンガー」では音が粗いように感じたが、「家庭交響曲」では「マイスタージンガー」で感じたマイナス・イメージを払しょくする出来なので驚いた。そのときのヴァイグレは、触れるものをすべて黄金に変えるミダス王(シュトラウスの楽劇「ダナエの愛」の登場人物)のように見えた。

 読響はゲルト・アルブレヒト以来、スクロヴァチェフスキ、カンブルランと、実力もあればポリシーもある名指揮者に恵まれた。で、ヴァイグレはどうか。今の上昇気流を維持できるか。さらなる上昇気流に乗せられるか。

 今までとはタイプが違う指揮者なので、新たな展開があるかもしれない。そう期待したい。

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