Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シャヴァンヌ展

2014年02月20日 | 美術
 ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824‐1898)。上野の国立西洋美術館に「貧しき漁夫」(↓)があり、昔から好きな絵だった。高校生の頃だと思うが、初めてその絵を見て、惹きつけられた。そのときは常設展の名画の数々を見たはずだが、不思議とその絵に惹かれた。でも、怠け者のわたしは、シャヴァンヌがどういう画家か、調べないままだった。

 「貧しき漁夫」はオルセー美術館にある作品の別ヴァージョンだ。そのオルセー美術館の作品が先年、日本に来た。もちろん見に行った。でも、国立西洋美術館のヴァージョンが身にしみついているせいか、しっくりこなかった。

 そんな記憶のあるシャヴァンヌだが、今回その展覧会が開かれることを知ったときは、ひじょうに新鮮な感じがした。シャヴァンヌを知るよい機会だと思った。これはぜひ行かなければならない――。

 会場の入り口にシャヴァンヌの生涯を解説するパネルがあった。1824年リヨン生まれ。1846年にイタリア旅行をし、その2年後に再びイタリアを訪れた。そのときジョットとピエロ・デラ・フランチェスカに感銘を受けた。

 これを読んで、あゝ、そうかと思った。ジョット、とりわけピエロ・デラ・フランチェスカは、わたしもミラノとウルビーノで見て、震える思いがした。あの、透明な、清々しい空気感が、シャヴァンヌに受け継がれているのかと思った。

 もう一つ、これは展覧会に行く前に仕入れた知識だが、シャヴァンヌは基本的には壁画家だった。そのことが、会場に多数展示されている壁画の縮小作品(それはシャヴァンヌ自身が描いたものだ)によって、よく理解できた。

 これがわかると、たとえば「貧しき漁夫」にしても、それが壁画の一部であってもおかしくないと思われてきた。これもシャヴァンヌの絵の要諦ではないだろうか。シャヴァンヌは紛れもなく(近代的な自我が確立した)19世紀の画家だが、その絵の登場人物は個性を主張していない。一種の‘類型’として存在している。これは発想の根源に壁画があるからではないだろうか。

 「貧しき漁夫」は本展には出品されなかった。せっかくこれだけのシャヴァンヌ展が企画されたのに、残念なことだ。その代り、ニューヨークのメトロポリタン美術館から「羊飼いの歌」(↓↓)が来ていた。フレスコ画の風合いを取り入れたシャヴァンヌの、これは最良の作品の一つではないかと思う。
(2014.2.17.Bunkamuraザ・ミュージアム)

↓「貧しき漁夫」
http://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0175.html

↓↓「羊飼いの歌」
http://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/437344?rpp=20&pg=1&ao=on&ft=chavanne&pos=5

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