ポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラの「家族の灯り」が公開中だ。オリヴェイラは1908年生まれ。今は105歳だが、現役の映画監督だ。「家族の灯り」は2012年の作品。当時104歳の映画監督がどういう映画を作ったか。
日本的な感覚では、だれでも高齢になると、枯れてくると思わないだろうか。枯淡の境地とか――。だが、この作品はちがっていた。最後にある事件が起きる。そのインパクトは強かった。息詰まるような緊張感があった。日本なら事件が起きるようで起きないとか、なにか起きても、淡々と描かれ、人々はそれを受け入れて、変わらない日常を送るとかで収束しないだろうか。
これはやはり西洋人と日本人のちがいだろうかと思った。精神的・肉体的なちがいがあるのではないだろうか。
もう一つ、この映画の見所だった点は、俳優たちのキャスティングだ。主人公の老人にはマイケル・ロンズデール(1931‐)、その妻にはクラウディア・カルディナーレ(1938‐)、近所の老婦人にはジャンヌ・モロー(1928‐)。皆さん、すごい存在感だ。いずれ劣らぬ名優たちの、70代、80代になった今の、怖いものなしのパワーが圧倒的だ。皆さん、演技を楽しんでいるのではないか。それがスクリーンから感じられた。
場所はフランスの港町。貧しい人々が住む一画。老人と妻と嫁の3人暮らし。息子は8年前に失踪した。ところが、ある日突然、息子が戻ってくる。息子は貧しい生活に忍従する父(老人)をなじる。そして息子はある事件を起こす。
原作はポルトガルの作家ラウル・ブランダン(1867‐1930)の戯曲だ。プログラムを読んで、なるほど、そうかと思った。たしかに、台詞主体の会話劇なので、映画というよりも、演劇に近い。しかも、興味深いことに、原作は4幕構成だが、最終幕をカットして、3幕までで終わりにしたそうだ。唐突な、断ち切られるような終わり方は、そのせいかと思った。
そのラストシーンにあるクラシック音楽が使われている。絶妙な選択だ。奇妙な、しかし不思議な余韻を残すその音楽は、このシーンにぴったりだった。
だが、冒頭に使われている音楽は、いただけなかった。クラシック音楽好きなら多くの人が知っているその音楽は、雄弁で、それ自体のストーリーをもっているので、映画と溶け合わず、ぶつかり合っている感じがした。
(2014.2.20.岩波ホール)
日本的な感覚では、だれでも高齢になると、枯れてくると思わないだろうか。枯淡の境地とか――。だが、この作品はちがっていた。最後にある事件が起きる。そのインパクトは強かった。息詰まるような緊張感があった。日本なら事件が起きるようで起きないとか、なにか起きても、淡々と描かれ、人々はそれを受け入れて、変わらない日常を送るとかで収束しないだろうか。
これはやはり西洋人と日本人のちがいだろうかと思った。精神的・肉体的なちがいがあるのではないだろうか。
もう一つ、この映画の見所だった点は、俳優たちのキャスティングだ。主人公の老人にはマイケル・ロンズデール(1931‐)、その妻にはクラウディア・カルディナーレ(1938‐)、近所の老婦人にはジャンヌ・モロー(1928‐)。皆さん、すごい存在感だ。いずれ劣らぬ名優たちの、70代、80代になった今の、怖いものなしのパワーが圧倒的だ。皆さん、演技を楽しんでいるのではないか。それがスクリーンから感じられた。
場所はフランスの港町。貧しい人々が住む一画。老人と妻と嫁の3人暮らし。息子は8年前に失踪した。ところが、ある日突然、息子が戻ってくる。息子は貧しい生活に忍従する父(老人)をなじる。そして息子はある事件を起こす。
原作はポルトガルの作家ラウル・ブランダン(1867‐1930)の戯曲だ。プログラムを読んで、なるほど、そうかと思った。たしかに、台詞主体の会話劇なので、映画というよりも、演劇に近い。しかも、興味深いことに、原作は4幕構成だが、最終幕をカットして、3幕までで終わりにしたそうだ。唐突な、断ち切られるような終わり方は、そのせいかと思った。
そのラストシーンにあるクラシック音楽が使われている。絶妙な選択だ。奇妙な、しかし不思議な余韻を残すその音楽は、このシーンにぴったりだった。
だが、冒頭に使われている音楽は、いただけなかった。クラシック音楽好きなら多くの人が知っているその音楽は、雄弁で、それ自体のストーリーをもっているので、映画と溶け合わず、ぶつかり合っている感じがした。
(2014.2.20.岩波ホール)