Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

沈黙

2012年02月17日 | 音楽
 新国立劇場の新制作、松村禎三の「沈黙」。その初日と2日目を観た。

 2日目のほうがよかった。初日は慎重すぎた。硬さがほぐれなかった。スタッフ、キャストの意気込みはよくわかる。だからこその慎重さだったのだろう。2日目のキャストは伸びのびやっていた。

 2日目の宣教師ロドリゴ役は小原啓楼さん。正直いって、最初は不安定だった。これはちょっと……と思った。けれどもこれは意図的なペース配分だったようだ。第2幕の牢の場面では、ロドリゴその人が乗り移ったかのような絶唱を聴かせた。暗い客席で耳を澄ましながら、何度か涙をぬぐった。

 これはわたしにとって永遠のロドリゴだ、と思った。1993年の初演以来すべてのプロダクションを観ているが、ロドリゴの苦悩がこれほどストレートに伝わったことはない。だからこそいうのだが、弱音になると言葉が不明瞭になる傾向が気になった。

 ダブルキャストなので、それぞれの個性や力量のちがいはあるが、それを云々してもあまり意味はないと思う。総じて初日はベテランが多かったので、自分の型から抜けきれないうらみがあった。2日目のほうが役に没入していた。

 指揮は下野竜也さん。初日はそれこそ慎重で、下野さんらしくなかったが、2日目は伸びのびしていた。もっともこれはオーケストラの問題かもしれない。どこからどこまでが下野さんで、どこから先がオーケストラなのかはわからない。なおピットが狭いので、チェンバロは舞台上手、ピアノは下手に乗せていた。それはよいのだが、パーカッションは別室に配置して、テレビモニターでつなぎ、PAで音を流していた。ほんとうは生の音のほうがよいのだが。もっともその場合はバランスに注意が必要だ。

 演出は宮田慶子さん。演劇のときにくらべると、勝手がちがうのだろう、窮屈な感じがしないでもなかった。それでもキチジローを随所に登場させて、ドラマに陰影を与えたところは、宮田さんらしい着想だ。だが、なんといっても、幕切れの演出が初日と2日目とで異なっているのが衝撃だった。これはドラマの性格を左右する本質的なちがいだった。なぜだろう。まだ公演中なので、具体的な記述は控えるが。私見では、2日目のほうが、白黒をはっきりつけない意味で、よかったと思う。

 最後に私事を。前述したとおり1993年の初演に立ち会ったことは、わたしの音楽人生の最大の出来事だった。いつも大事に胸に秘めている。
(2012.2.15&16.新国立劇場中劇場)

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