Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

堀越保二展

2018年02月12日 | 美術
 3連休の初日。北陸や東北の方には申し訳ないが、東京は穏やかな天気だった。わたしは大田区立郷土博物館に出かけた。わたしの家は目黒区にあるが、目黒区と大田区と品川区の境にあって、同館にはバスで行ける。だが、バスを降りてから道に迷い、ずいぶん遠回りをした。

 同館に出かけたのは、堀越保二展を見るため。購読している新聞に紹介記事が載ったので、興味を持った。その記事によると、同氏は東京芸大で日本画を学び、1963年に卒業制作のため、生まれ育った大森海岸を訪れたとき、「埋め立てでゴミの山と化した姿に衝撃を受けた。/その後、埋め立て地に通って鳥や植物、水辺の風景をスケッチするようになる。」(東京新聞2018年1月24日)

 一方、わたしは多摩川の河口の、京浜工業地帯の一角で生まれた。町工場がひしめく地域。大森海岸のすぐ近くなので、海の埋め立て工事が進む高度成長期は、肌で感じていた。そのときショックを受けた先輩世代が、何を感じ、それをどう表現しているかを、見てみたいと思った。

 わたしは堀越保二氏の名前を知らなかった。ネットで検索すると、驚いたことに、わたしの母校の先輩だった。同氏は都立小山台高校の卒業生。わたしもそうだ。入学年次は同氏が12年先輩。同氏は東京芸大に進学し、その後、同大学で教鞭をとった。今は名誉教授。

 年齢は同氏が一回り上だが、母校の先輩というだけで、急に親しみを覚えたことが、我ながら可笑しかった。これはどうしても見に行かなければならない、と。

 わたしは、そそっかしいことに、「埋め立てでゴミの山と化した」海岸が描かれた作品が並んでいるのかと思っていた。だが、そうではなかった。野鳥を描いた作品が大半を占めるが、それらは「ゴミの山」にいるわけではなかった。でも、よく見ると、ゴミこそ描かれてはいないが、埋め立て地がイメージされる作品があった。

 その作品は、茫漠とした土地に、1羽のカラスの死骸が横たわっている絵。明るいオレンジ色の地面には白い草花が咲き乱れ、空には大きな虹が掛かっている。その風景は死んだカラスが天国で見ている風景のように感じられた。作品名は「此岸にて」(1967年)。

 名前を書き留めてくるのを忘れたが、会場には本展の開催に当たって、東京芸大の同僚教授2名の寄せた祝辞が掲示されていた。いずれも温かい交流を窺わせるものだった。
(2018.2.10.大田区立郷土博物館)

(※)東京新聞の紹介記事(「此岸にて」の画像が掲載されている)

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