Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

吉村昭「戦艦武蔵」

2017年11月16日 | 読書
 大学時代の友人と始めた読書会の2回目を12月に予定している。そのテーマとしてわたしが提案した3作品のうち、友人が1作品を選んだ。残りの2作品は、わたしも未読の作品だったので、よい機会だから読んでみた。まずヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を読み、その感想を書いた。もう一つは吉村昭の「戦艦武蔵」。

 テーマの候補として本作を選んだのは、昨年、吉村昭の短編集「空白の戦記」を読み、感銘を受けたから。そこに収められた6篇の短編小説は、どれも太平洋戦争の(歴史の表舞台には登場しない)隠れたエピソードを語るものだった。戦争を生きた(あるいは戦争で命を落した)名もない人々の人生が描かれていた。

 わたしは引き続きいくつかの小説を読んでみた。戦記物だけではなく、現代物も面白かった。なにが面白かったかというと、吉村昭の文体だ。感情を露わにすることなく、抑えた文体。事実を淡々と語る文体。曖昧さがない文体。それはわたしが求める文体の一つだった。

 少しずつ吉村昭の小説世界を知ったわたしは、その出世作となった長編小説「戦艦武蔵」を読みたくなった。文庫本で約300頁の作品。そのうちの約220頁は、戦艦武蔵の建造の過程が描かれていた(同艦は三菱重工の長崎造船所で建造された)。残りの約80頁は、同艦が海軍へ引き渡された後に、同艦がたどった運命が描かれていた。

 そのため、全体の7割強を占める前半部分は、戦場場面ではない。造船所で前代未聞の巨艦を建造する技術者たちの叡智の戦い。もちろん背景には戦争の色濃い影があるのだが、技術者たちの苦闘そのものは、一大プロジェクトに挑む人々のドラマだ。

 残りの3割弱を占める後半部分は、同艦の引渡しを受けた海軍が、同艦をトラック諸島の基地に停泊させ、米海軍との決戦を待つ日々が描かれている。

 決戦の日は訪れたのか。戦艦武蔵の最期はどうだったのか。それを書くことは控えるが、なんともむなしい運命をたどったことに、戦争の実相を感じる。

 本作は反戦小説ではない。また戦争賛美の小説でもない。事実を淡々と書いたリアリストの小説。だからこそ、というべきか、1966年の刊行後、すでに50年余りたっているが、少しも古びていない。

 本作を読んでなにを感じるかは、読者に委ねられている。作者はけっして誘導しない。読者と作者とのあいだには、節度ある一線が引かれている。そこに吉村昭の品格を感じる。

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