楢葉町は2015年9月に避難指示が解除された。でも、住民の帰還は進んでいない、という新聞記事を読んだ。3月中旬のこと。その記事を手元に保管して、時々読み返していた。帰還した人も、帰還せずに避難先に留まっている人も、その心中を察すると胸が痛む。せめて一人にしないで共にいようと思い、連休初日に出かけた。
上野駅から特急列車でいわき駅へ。各駅列車に乗り換えて竜田駅へ。ここから先は不通。ただ、竜田駅から原ノ町駅まで代行バスが通っていることが分かった。一日2便。朝と夜に1便ずつ。一度乗ってみたいが、今回は無理のようだ。
竜田駅に降りると、そこは楢葉町。駅前の案内図を見てから、町役場を目指した。見当をつけて歩き始めたが、よく分からない。家の修繕をしている職人さんがいたので、道を尋ねた。親切に教えてくれた。しばらく歩くと、畑の手入れをしている住民がいたので、また尋ねた。この方も親切に教えてくれた。
町じゅうひっそり静まり返っている。でも、家や庭はよく手入れされている。修繕中の家もいくつかあった。ある家の中から子どもの声が聞こえてきた。連休を利用して家族で家の様子を見に来たのではないかと想像した。
途中に楢葉中学校があった。正門からのアプローチがきれいに整地され、校舎も整備されているように見えた。後で知ったのだが、2017年4月に再開予定だそうだ。
町役場の前に仮設の「ここなら商店街」があることは知っていた。行ってみると、なるほど、プレハブの仮設住宅のようなところに食堂2軒と雑貨屋1軒が入っていた。ちょうど昼時だったので食堂に入った。満席で順番待ちだったので驚いた。工事関係者が多かったが、家族連れもいた。活気がある店内にホッとした。肉炒め定食を食べた。カウンターには熊本地震の募金箱が置いてあった。
少し離れた場所に「道の駅ならは」があるようなので、店の人に様子を聞いてみたら、今は警察が入っているとのこと。再開する予定はあるそうだ。今回は行かずに、駅に戻った。電車を待っていると、線量計があることに気が付いた。毎時0.149~0.151マイクロシーベルトの間を動いていた。国の除染目標の0.23マイクロシーベルトを下回ってはいるのだが、住民の帰還はこれから進むのだろうか。
その日のうちに帰れる時間だったが、いわき市内で一泊した。人が多く、車が行き交う光景が眩しかった。
(2016.4.29~30)
上野駅から特急列車でいわき駅へ。各駅列車に乗り換えて竜田駅へ。ここから先は不通。ただ、竜田駅から原ノ町駅まで代行バスが通っていることが分かった。一日2便。朝と夜に1便ずつ。一度乗ってみたいが、今回は無理のようだ。
竜田駅に降りると、そこは楢葉町。駅前の案内図を見てから、町役場を目指した。見当をつけて歩き始めたが、よく分からない。家の修繕をしている職人さんがいたので、道を尋ねた。親切に教えてくれた。しばらく歩くと、畑の手入れをしている住民がいたので、また尋ねた。この方も親切に教えてくれた。
町じゅうひっそり静まり返っている。でも、家や庭はよく手入れされている。修繕中の家もいくつかあった。ある家の中から子どもの声が聞こえてきた。連休を利用して家族で家の様子を見に来たのではないかと想像した。
途中に楢葉中学校があった。正門からのアプローチがきれいに整地され、校舎も整備されているように見えた。後で知ったのだが、2017年4月に再開予定だそうだ。
町役場の前に仮設の「ここなら商店街」があることは知っていた。行ってみると、なるほど、プレハブの仮設住宅のようなところに食堂2軒と雑貨屋1軒が入っていた。ちょうど昼時だったので食堂に入った。満席で順番待ちだったので驚いた。工事関係者が多かったが、家族連れもいた。活気がある店内にホッとした。肉炒め定食を食べた。カウンターには熊本地震の募金箱が置いてあった。
少し離れた場所に「道の駅ならは」があるようなので、店の人に様子を聞いてみたら、今は警察が入っているとのこと。再開する予定はあるそうだ。今回は行かずに、駅に戻った。電車を待っていると、線量計があることに気が付いた。毎時0.149~0.151マイクロシーベルトの間を動いていた。国の除染目標の0.23マイクロシーベルトを下回ってはいるのだが、住民の帰還はこれから進むのだろうか。
その日のうちに帰れる時間だったが、いわき市内で一泊した。人が多く、車が行き交う光景が眩しかった。
(2016.4.29~30)