Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

世田谷美術館「麻生三郎展」

2023年06月06日 | 美術
 世田谷美術館で「麻生三郎展」が開かれている。麻生三郎(1913‐2000)は1948年から1972年まで世田谷区の三軒茶屋に住んだ。ちょうど日本の高度成長期に重なる。その時期の作品を集めた展示だ。作品からは騒然とした時代が伝わる。

 本展のHP(↓)にいくつかの作品の画像が載っている。「母子」(1949年、個人蔵)は全体的に暗い色調の作品だ。憂い顔でうつむく母親と、まっすぐこちらを見据える娘とが対照的に描かれる。そのような作例は、麻生三郎にかぎらず、当時の他の画家の作品にも見られる。時代を反映した心情の表れだろうか。

 HPには画像がないが、「赤い空」(1956年、東京国立近代美術館)は画面全体が燃えるような赤に染まる。赤はこの時期の麻生三郎の特徴だ。本作品はその典型といえる。夕焼けの反映と思えば思えるが、それ以上に空襲の残像のように見える。背景には黒い煙突や工場のような建物が見える。1956年といえば高度経済成長に入った時期だ。空襲の残像が残る街に復興の槌音がひびく。

 「人」(1958年、神奈川県立近代美術館)はHPに画像が載っている。赤一色ではなく、赤と黒と灰とこげ茶が使われ、画面全体にザラッとした手触りがある。復興の喧騒と埃っぽさが感じられる。背景にはクレーンのようなものや工場、家屋が見える。手前には二人の人物が立つ。母子だろうか。二人ともまっすぐ正面を向く。娘はもちろんだが、母親ももううつむいてはいない。二人の後ろを歩く人物がいる。だれだろう。通行人か。画家自身か。

 上記の「赤い空」と「人」と、そのあいだに描かれた「赤い空と人」(1957年、横須賀美術館)のころが、麻生三郎の頂点だったのではないだろうか。多くの社会問題をふくむすさまじい時代のエネルギーを一身に受け止め、作品に表現する気迫がみなぎる。

 作品はその後、人体が次第に解体され、一見抽象画のような作風に進むが、抽象画とは根本的に発想がちがうようだ。「ある群像」(1967年、神奈川県立美術館)、「ある群像2」(1968年、同)、「ある群像3」(1970年、同)の3点は、抽象画のように見えるが、いずれも目のようなものがはっきり見える。解説パネルによると、これら3点は「激化し泥沼化の様相を呈するベトナム戦争に対する思い」を込めて描かれたという。

 油彩画とは異なり、デッサンは子どもの落書きのように見える。たとえばチラシ(↑)に使われた「三軒茶屋」(1959年、神奈川県立近代美術館)は、家々が立ち並ぶ中を母親が乳母車を押し、その横を男が歩く。麻生三郎の家族の風景だろうか。ほのぼのとした味がある。これが上記の1950年代後半の油彩画と並行して描かれた。
(2023.5.24.世田谷美術館)

(※)本展のHP
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