Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/読響

2020年11月20日 | 音楽
 バロックからコンテンポラリーまで自在に往き来する鈴木優人の面目躍如たるプログラム。1曲目はシャリーノ(1947‐)の「夜の自画像」(1982)。いかにもシャリーノらしい濃密な夜の曲だ。打楽器奏者がスチールプレート(文字通りスチール製の大きな板)を2本の大太鼓のばちで(聴こえるか聴こえないかという最弱音で)ロール打ちを続ける。その微かな音が夜の気配を醸し出す。たまにロール打ちが止まると、無音の世界が生まれる。またロール打ちが始まる。無音の緊張から解放される。――そのような曲を鈴木優人指揮の読響は繊細に演奏した。

 2曲目はシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。堂々と構築され、弛緩したところのない立派な演奏だったと思うが、あえていえば、肩に力が入っていた。それがわたしを疲れさせた。言い換えれば、もう少し余裕というか、遊びがほしかった。そのなかにあって、第4楽章のダイナミックな演奏には好感をもった。総体的にいえば、指揮者にもオーケストラにも高度な力量が感じられたので、繰り返しになるが、もう一歩その先を求めたかった。

 3曲目はベリオ(1925‐2003)の「レンダリング」(1989‐90)。これは2曲目で感じた不満を解消する名演だった。みずみずしい感性が漲っていた。ベリオが補筆した音型が丁寧に演奏されていた。「レンダリング」はベリオの作品のなかでも人気作のひとつなので、演奏機会も少なくないが、今回の演奏はわたしが聴いたなかではベストだった。

 この作品はシューベルトの未完の交響曲の草稿をベリオが補筆したものだが、わたしはいつも、その草稿がシューベルトの亡くなる年(1828年)に書かれたものという説明に違和感をもっていた。ほんとうにそうだろうか? 1828年というと3曲のピアノ・ソナタ(D958、D959、D960)や弦楽五重奏曲(D958)が書かれた年だが、それらの作品の深みと、この草稿の一種の気楽さとは、併存したのだろうかと。

 わたしがとくに違和感をもつのは、第1楽章のコーダだ。あのコーダはイタリア・オペラの序曲風ではないだろうか。シューベルトが「イタリア風序曲第1番」と「同第2番」を書いたのは1817年だが、それと似たところがないだろうか。そのような音楽をシューベルトが1828年に書いたとは、ちょっと信じられない気がする。多くの研究者がいうのだから、それはまちがいのない事実だろうが、アイデアはもっと前に生まれていたとか、なにか合理的な説明がつかないだろうかと。

 その疑問は今回も解消されなかった。だからといって、それが「レンダリング」の評価に影響するわけでもないけれど。
(2020.11.19.サントリーホール)
コメント
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