Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

目黒区美術館「LIFE展」:古茂田守介の作品

2020年11月19日 | 美術
 目黒区美術館で「LIFE コロナ禍を生きる私たちの命と暮らし」展が開かれている。同館の所蔵作品を「コロナ禍を生きる‥」の視点で構成したもの。そこに古茂田守介(こもだ もりすけ)(1918‐1960)の作品が5点展示されている。たいへん感銘を受けたので、二度見にいった。

 同展の特設ページ(※1)に「母子」(1946)の画像が掲載されている。縦91.5㎝×横117.0㎝の横長の画面に若い母親が生まれたばかりの子どもを抱いて寝ている。満ち足りた幸福感が漂う作品だ。敗戦後間もない時期なので、社会は混乱していただろうが、作品にその影はない。そこだけポカッと空いた陽だまりのような空間だ。

 古茂田守介は1944年に涌井美津子と結婚して、1946年に長女の杏子(きょうこ)が生まれた。本作はそのときの作品だ。(※2)

 前述のとおり、同展には古茂田の作品が5点展示されているが、「母子」と同時期の作品に「踊り子達」(1946)がある。バレエ教室の生徒たちを描いたものだ。茶褐色のモノトーン、はっきりした輪郭線、新時代の到来を思わせる明るい空気といった点で、「母子」と共通する作風だ。もっとも、「母子」が水平方向の安定した構図であるのにたいして、「踊り子達」は右下から左上への斜めの構図で、しかも複合視点的な構成をもっている。それは「母子」の静的なモチーフと「踊り子達」の動的なモチーフとのちがいによるのだろう。

 興味深い点は、同展に展示されている「工房」(1949)と「母子」(1953)が前記2点とはかなり異なる作風であることだ。色調は「工房」が緑褐色、「母子」が茶褐色で、いずれも黒ずんでいる。また前記2点が滑らかな絵肌であるのにたいして、「工房」も「母子」もザラッとしている。さらに(これが本質的な点だと思うが)前記2点が明確な輪郭線で描かれているのにたいして、「工房」と「母子」は彫刻のような存在感のある描き方だ。

 古茂田はその後も、持病の喘息で亡くなる1960年まで、裸婦や静物を描きながら、具象画を通した。それは抽象画が全盛の時代にあって、孤高の道だったかもしれないが、いま見ると不思議なほどの生気を感じさせる。

 もうひとつ古茂田作品で驚くべき点は、上記4点がいずれも修復された作品であることだ。古茂田が亡くなって2年後の1962年に、アトリエのストーブが過熱して火災になり、それらの4点をふくむ多数の作品が被災した。それらの作品を目黒区美術館が1990年に収蔵して、1994年にかけて修復作業をした。被災当時の各作品の状態が写真に記録されているので、今回二度目はその写真を見ながら鑑賞したが、わたしには修復の跡はわからなかった。
(2020.11.10&18.目黒区美術館)

(※1)同展の特設ページ

(※2)偶然だが、わたしの妻は子どものころ、近所の教会で杏子様と同じピアノの先生についていた。妻は杏子様より2歳下だが、妻から見ると、杏子様はずいぶんお姉さんに見えたそうだ。妻はお母様の美津子様(守介の奥様)のことも覚えていて、「ベレー帽をかぶっていた」といっている。
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