Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

藤倉大「アルマゲドンの夢」(2)

2020年11月24日 | 音楽
 オペラ「アルマゲドンの夢」は初日を観て、その感想を書いたが、最終日も観たので、いくつか補足的な感想を書いておきたい。このオペラが世界に通用するオペラであることは、初日に感じたとおりだが、もうひとつ感じたことは、歌手、オーケストラ、演出その他の制作面で、今回の公演は、かりに世界のどこかで初演されたとしても、これ以上の公演は期待できないと思われる水準だったことだ。

 まず歌手だが、ポピュリズムの席巻にたいして、なにも行動を起こさないクーパー(それはわたしたち自身の似姿だ)を歌ったピーター・タンジッツは、初日同様、最終日でも役柄を深く掘り下げて歌っていた。そのクーパーに行動を呼びかける妻のベラを歌ったジェシカ・アゾーディと、人々を扇動するポピュリズム政治家のジョンソンを歌ったセス・カリコは、初日よりも自信をもって歌い演じていた。

 ジョンソンの宣伝相ともいうべきインスペクターを歌った加納悦子と、ダンスホールの歌手と冷笑者の二役(本公演では同一人物と解釈されている)を歌った望月哲也は、初日同様しっかりした歌唱だった。またジョンソンに扇動される人々などを歌う合唱は、音楽的にはもちろんのこと、演技の面でも見事に統制がとれていた。

 大野和士指揮の東京フィルは、新国立劇場では珍しいほどに熱気のこもった、しなやかで、多彩な演奏を繰り広げた。そのオーケストラ演奏は、歌手や合唱と同様に、世界のどこに出しても引けを取らないものだった。

 演出のリディア・シュタイアー率いる制作スタッフは、曖昧さのない徹底した解釈と、巨大な鏡と映像を駆使した(深層心理や外部社会の出来事などを映す)表現、さらにはスピーディな場面転換など、数え上げればきりがない美点を備え、舞台全体を生気に満ちた美しさで彩った。

 わたしは初日の感想で、冷笑者が「柳の歌」(ヴェルディの「オテロ」と同じ古謡)を歌いながらベラとクーパーに絡む場面で「冗長さ」を感じたと書いたが、あれはわたしの聴き方がまちがっていた。あの場面では、冷笑者がベラに届けたベラの「母」からの手紙(それは反体制組織からの手紙だ)をめぐるベラとクーパーのやりとりを聴くべきであり、冷笑者の「柳の歌」は背景に流れるBGMのようなものだということがわかった。

 今回つくづく感じたことは、ジョンソンの演説が、陰謀論に満ちていることだ。人々はそれに熱狂する。H.G.ウェルズの原作は近未来の危機を描いているが、このオペラはいま起きている危機を描く。これはオペラの歴史上稀有な例ではないだろうか。
(2020.11.23.新国立劇場)
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