Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「スパイの妻」

2020年11月01日 | 映画
 「スパイの妻」は、昭和15年(1940年)、戦火の迫る神戸が舞台だ。福原聡子は貿易商を営む福原優作と幸せな毎日を送っている。優作は満州に出張する。そこで関東軍の機密にふれる。優作はその機密が人道上許せず、(国内は軍国主義一色なので)アメリカで公表しようとする。聡子は幸せな生活を守るために、夫の企てを止めるが、その機密を具体的に知ると、夫への愛を貫くために、夫とともに行動する。

 聡子の印象的な台詞がある。「私は狂ってなんかいません。でも、狂ってないことは、狂ってることなんでしょうね、この国では。」。みんなが狂っているときに、自分も狂っていれば楽だが、自分だけ狂っていないと、孤独に耐えなければならない。非難され、白眼視される。それでも自分の道を歩む人は、その結果起きるすべてのこと(迫害、あるいはそれ以上のこと)を受け入れなければならない。本作はそのような人の物語だ。

 もっとも、本作はヒーローを描いた映画ではない。人物像に人間味がある。また夫婦愛を描いた映画というのも憚られる。優作と聡子は(お互いを守るためだが)トリック合戦をする。そのどんでん返しが本作の骨格だからだ。本作の基本的な性格はサスペンス映画だろう。でも、それにしては時代状況の描き方に迫真性がある。

 聡子の台詞を通して、いくつかの問題提起がある。まず、幸せな生活をとるか、人道上の正義をとるかという問題。その二者択一、あるいは両立をめぐって、優作と聡子の対立があり、それが観客に、自分ならどうすると考えさせる。また、機密を公表することは、日本のファシズムを止めるために、アメリカに参戦を促すことにつながるが、そうなれば多くの日本人が命を失う。目的の正しさと犠牲の大きさとのバランスをどう考えるか、と。だが、考えている暇はない。決断し、行動しなければならない。結果がどうあれ、その責任を引き受けなければならない――本作はそんな状況を描いている。

 本作はベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した。受賞の背景には(あるいは審査の背景には)、本作の描く状況が、日本はもとより諸外国でもリアリティをもって感じられるからではないか――いまは多くの国がそんな状況だ――と思う。

 監督は黒沢清。二転三転するストーリー(ある破局に突き当たったと思うと、その裏に別のたくらみが隠されている、という展開が連続する)が緊迫感をもって進行する。それは最後の最後まで(なんと映像が終わってからも!)続く。主人公の聡子を演じるのは蒼井優。夫への一途な愛に説得力がある。
(2020.10.27.109シネマズ二子玉川)
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